ご主人は内心「どうしたんだろう」と思っていたようです。奥さんは不機嫌にもならず、普通に食事の仕度もしてくれるし、新聞を片づけなくても新聞のことは一切触れません。ご主人のほうが何となく気持ち悪くなってしまったのです。いままでは感情的に言っていたのが何も言いません。そして、絶対片づけませんし、新聞の“し”の字も口に出しません。彼は4、5日たったら片づけ始めて、その後はもう何も言わないでも片づけるようになったというのです。
これはまさにバウンドリーの問題です。新聞を読んだらその新聞を片づけるというのは当然の責任ではないでしょうか。妻が「いや、それは私の責任だ」と言うなら、それはそれで私は「やめなさい」とは言いません。心からそれができるのであればです。イライラしないでやれるというのなら、それはそれでいいのです。自分の責任であると考えて疑わないというのであればかまいません。あえて私はそこまで踏み込もうとはしません。まさに私のバウンドリーの外側にあるのです。しかし、本来は、ほとんどの人が、「自分で読んだら自分で片づけるべきだ」と思っているでしょう。
それに対して、この夫婦の場合は少し違っていたのです。本当は新聞を片づけるのは夫の敷地内のことです。妻は、よそ(夫)の家の敷地にもかかわらず、これが気になってしょうがなかったのです。「あら、ごみが落ちている」というわけです。「拾ってくれるのかな」と夫は期待します。妻は新聞がいろんなところに散らばっているのが気になって夫に言うわけです。大体、人間というのは言われると拒絶したくなります。これが人間の本性です。妻がガミガミ言うと、初めは夫のほうがそれを片づけてはいましたが、ガミガミ言われるのをじっと我慢していると、妻は片づけ始めます。夫はそういうことに気づくと、ガミガミ言われるのは嫌だけれども、片づけるよりは楽だと思って、そこを通り過ぎるのを我慢していればいいと思うようになってしまうのです。