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国際保健協力フィールドワークフェローシップに参加して

―国際政治の中で国際保健を考える―

 

白石 康子(富山医科薬科大学4年)

20世紀の最終年を迎えるにあたり、私たちの住む日本も、フィリピンも激しい社会変化の波の中にいることを今回の旅で痛感する。

フィリピンにおける経済、社会の階層構造は、大都市マニラとその周辺の農村、そして数千の遠隔離島と、わが国における構造とは比較にならない程複雑である。経済、社会に加え宗教、文化、民族の多様な要素をも混じ、更に問題を複雑に織りなしている。また、歴史上300年程にも及ぶスペインによる統治、というより近代的先進技術と力による支配があり、第二次世界大戦後には米国による統治が行われ、1980年代後半における、米ソ冷戦体制崩壊までに渡る現代史上においては、いゆる米国の安全保障における西太平洋の軍事上の要所として米軍基地がフィリピンに存在した。

米ソ冷戦体制の崩壊を国際政治的な側面から分析する立場もあるが、莫大な軍事費の負担に耐えかねた米ソ二大国の経済上の破綻と考えることもできるであろう。いわゆる先進国の援助疲れの時代が'80年代後半から今日まで続く。すなわち、国内財政においては、莫大な赤字国債を抱え、債務超過、生産性向上における産業界の行き詰まり、個人消費の低迷もしくは飽和状態。こうした先進国における内政・財務上の問題がもはや処理仕切れぬ天文学的な負債として重くのしかかっている。この様な中に有っても、米国をはじめとした先進諸国は開発途上国への援助を打ち切るわけには行かない。

実際、今日のフィリピンにおいて、予防接種をはじめ母子保健、STD予防など保健衛生活動は、米国をはじめとした先進国政府やNGOの援助により支えられている。我々フェローが訪問した政府の保健施設、NGOによるそれのいづれにおいても米国をはじめとしたいわゆる旧西側諸国の経済・物資の援助の片鱗を大なり小なり伺い知る事が出来る。

行財政、経済などの政治的機構と機能が個々人の人道主義的感情と行動により支えられ、人道主義理念が形と成った時、初めて”援助”が意義有るものとして存在をはじめ、更に被援助国が自立の道を歩む事が出来た時、理想的援助が結実したと言えるのだろう。しかし、実際は言葉どおりにはまず行かない。個々人の人道主義的感情により支えられた国際援助における活動家は、”必要とされる喜び”という個人的感情と個々人の教養、教育、技能、に支えられ、今後益々先進諸国の中においてもその火を絶やすことは無いかと考えられる。しかし、政治的機構と機能の面においては、今日の先進諸国の経済の情勢と被援助国の内政情勢を考えると、かなり厳しい状況にあると考えられる。今回の研修において、私は、各フィールドにおける個人の人道主義的感情には十分心から触れることができた。多分こうした動きはNGOという形をとり、その活動領域を益々ひろげていくであろうと思われる。しかし、個人的人道主義感情がMassとなって、官僚機構的性質を持つ国際政治組織を動かす力と成ることが出来るのか、今一度再考したいと思うに至った。

これまで、医学生による国際保健と言えば、とかくフィールドを重視した体験学習的研修に終始しがちであるが、今回の研修においては特にWHOという国際機関を念頭に入れ、また、厚生省、外務省、国立国際医療センターで活躍する職員の方々に直に話を伺う事が出来、国際保健をMassで再考し、大局的な立場に立つ一つのきっかけと成ることが出来たと私は思う。

 

 

 

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