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1999 国際保健協力

フィールドワーク・フェローシップ

参加報告

 

旅〜未だ見えぬ終着点

 

長谷川 学(九州大学医学部5年)

私は長期休暇の度に日本を抜け出す。ある時は未知の世界を覗き見たくて、ある時は「未知の世界を覗き見るべきである」という義務感から、ある時は日常の生活から逃げ出すようにして私は旅立つ。タイ、カンボジア、イラク、中華人民共和国チベット自治区....

 

1999年3月フィリピン

首都マニラ市内。スラムの人々のために働くNGOスタッフとの出会い。彼女はスラムの人々のために自分の時間を割いて精力的に活動を展開している。

「私はキリストと共に働いています。私にとって喜びです。」

フィリピンは16世紀、スペイン人によってカトリックヘの改宗を強制された歴史を持つ。フィリピンにおいても神の前の平等を説くキリスト教はコミュニティー(バランガイ)の支配者(首長層)と被支配者(農民層)との身分秩序を危うくし、社会の混乱を招いた。

以下、これに対する私の友人のコメントである。

「(略)歴史書とは、往々にして支配者の視点が強調されるものです。しかし、貧困や抑圧で絶望の淵にあった農民は、自分がどんなに弱く卑しくても神を信じれば必ず救われるという教えに、どれほどの希望を持ったことでしょう。彼らにとってその教えが大きな光だったことは疑う余地がないと思います。」

フィリピンにおいてキリスト教はしっかりと根をおろし、人々のこころを満たし続けている。このNGOスタッフの人生はキリスト教を一つの軸として揺るぎがない。人生に迷いが生じても信仰を通していつでも原点に戻ることができる。

宗教を聞かれ、「私は無宗教だ。」と言う日本人は多い。メディアも宗教バッシングに忙しい。あるコメンテイターは新興宗教の信者のことについて「彼らは精神的に弱い人々です。そこに付け入られてだまされているのです。」と指摘していた。

「私とは何か?」「死とは何か?」「死後どうなるか?」「人生とは何か?」

現在の日本は人間が生きる上で発する根本的な問いを許す雰囲気も、これらの問いに正面から答える雰囲気も持ち合わせていない。その根底には戦後の日本人の宗教に対する認識の底浅さがあるように思えてならない。

旅を終え、自分の部屋に帰り着くと毎回、旅に出る前の自分に出会う。何も変わらぬ散らかったままの部屋。そして以前と何ら変わらぬ日常生活を再開させる。何も変わっていないのか?

しかし、私の内面は確実に変化している。知れば知るほど私には理解できぬ難解な未知の世界が更に広がり、ますます「本質」は遠ざかっていく。そして私はそのことに対して多様な観点・見解を持ったふりをして、結論を先に先に延ばし続けているのだ。

未だゴールは見えない。

 

 

 

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