日本経済の光と陰
1 低迷が続く景気
図1
第2次世界大戦後の経済復興の後、日本経済は、1960年代まで総じて年10%を超える高度成長を続けたが、70年代には変動相場制への移行、2度の石油危機を経験し、成長率は5%前後に低下、しかし、それを乗り越え、まずまずの成長を維持してきた。
しかし、80年代末の土地を中心とする資産価格の上昇でいわゆるバブル経済となったが、90年代に入り資産価格が大幅に下落、土地神話が崩壊、民間部門は不良債権をを抱えることになり、金融機関の脆弱性が表面化し、金融システムの不安定化、貸し渋り、含み資産を前提とする企業経営のゆきづまり、個人の消費萎縮などが生じたことから90年代を通じて長期低成長が続いている(96年の5.1%を除き1%前後の成長で、98年は2.8%のマイナス成長となった。マイナス成長は第一次石油ショック後の74年のマイナス1.4%以来)。98年は97年後半からのアジア経済危機(3頁参照)の影響も受けている。
長引く不況下で、企業はリストラを迫られ、それは雇用にも影響し、失業率が継続的に上昇し、その水準はアメリカの失業率を上回るに至っている(14頁参照)。経済の相互依存が進んだ今日、景気回復は日本のみならず世界経済にとっても喫緊の政策課題となっている。
アメリカ経済は、ハイテク産業を中心とする生産性向上を背景に91年以降最長の持続的成長を続け、しかも物価の安定と低失業率を実現している。90年代を通じて、欧州諸国も総じて順調な成長をつづけているのに対し、日本はOECD諸国平均の成長を下回っているといえる。
2 経済援助で世界に貢献
80年代までの高成長を経て、日本はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になり、世界の繁栄と平和に貢献する立場にある。世界には飢餓と貧困に苦しむ多くの人々がおり、環境、人口、食料等の地球規模の問題は、先進国、発展途上国共同で取り組むべき課題であって、経済のグローバル化が進み経済の相互依存が高まったことを考えると、経済協力が果たす役割は非常に大きい。しかも日本は資源・エネルギー・食料の多くを海外に依存しており、世界平和と世界経済の安定は、日本の安全と繁栄に不可欠である。
図2左
日本の発展途上国に対するODA(政府開発援助)は、年々増加し95年に144.89億ドルとなったが、96年には財政再建のため予算削減を余儀なくされ、また円安の影響もあり34.9%減となった。97年も微減したものの、98年には13.7%増の106.40億ドルとなって、DAC(Development Assistance Committee、OECDの開発援助委員会)加盟21か国合計の20.6%を占め、91年からは最大の援助国となっている。日本に次いで、アメリカ、フランス、ドイツと続く。
一方、ODAの対GNP比率でみると、日本は0.28%で21か国中12位となり、国連の目標0.7%には達していない(DAC平均は0.23%)。
また、98年の国民1人当たりODAは、84.3ドル(人口は97年)で第9位である(デンマークが322.7ドルでトップ)。
つぎに、ODAの中味についてみると、日本は98年には無償資金協力が20.3%、技術協力(人材育成等)が25.7%(両者合計の贈与比率が46.0%)、政府貸付が34.3%、国際機関への出資・拠出が19.6%で貸し付けが多い。96/97年平均で日本の贈与比率は39.6%と21か国中最低である(贈与額はアメリカに次いで2位)。
図2右
さらに、援助先についてみると、日本はアジア地域向けが多く、97年の46.5%までシェアを落とした後、98年は61.0%へと上昇している。世界のアジア地域向けODAに占める日本のシェアは97年46.2%と高い。98年までの累積額でみて、最大の援助先国はインドネシア148億ドル、次いで中国、フィリピン、タイ、インドと続く。
日本としては、99年4月公表のODA中期政策に基づき、従来以上に、貧困対策や社会開発、人材育成などのソフト面、地球環境問題を重視し、効率的な援助を模索するとともに、NGO(Non-Governmental Organization 非政府機関)を通じた援助など効果的、かつ、きめの細かいな援助を進めることが問題となっている。