しかし、方言名によって識別された生物種の総数でみると当該地域の伝承は山間地域に比べて全般的に少なく、狭山丘陵という地域性が強く認められる事例もほとんど見当たらない。これが時代の変化に伴う伝承の喪失によるものか、あるいは独立型丘陵という自然環境の特性によるものか明らかでないものの、今後は近隣の多摩丘陵や加治丘陵における伝承事例との比較検討が必要である。
2]地形・地名
地形については、一部の地域で丘陵地を構成する尾根、斜面、谷に関する呼び名が伝承されており、さらにわずかな事例ではあるが凹地や台地等の微地形に対する認識があることも確認された。
地名の起こりは、その土地の位置関係や所有者、地形的な特徴、あるいはその土地を代表する生物等を代名詞として呼称されるケースが多いが、今回の調査でもそのような事例をいくつか採集している。ただし、いずれもごく限られた地域を対象としたものであり、自然環境と地誌の関係を明らかにすることは今後の調査研究課題の一つである。
3]自然暦としての伝承・俚諺
里山の暮らしでは、季節の変化に気を配りながら自然環境の現況を適確に把握し、さらに短中期の予測を行うことが重要な仕事であった。これを怠るということは生業そのものに大きな影響をもたらすばかりでなく、信仰や祭事に代表される社会組織の維持・運営にも支障をきたすおそれがある。里山に限らず、昔から観天望気や自然暦とよばれる伝承が受け継がれてきたのはこうした理由によるものである。
狭山丘陵周辺地域に伝わる自然暦としては、気象に関するもの6件と農事暦に関するもの5件が伝承されている。以下にその事例を示す。
・富士山に雲がかかると天気が悪くなる。〈東村山市〉
・鶏が早くねると翌日は天気がよい。〈東村山市〉
・ケケラス(ヒグラシ)が鳴くようになると日が短くなる。〈東大和市〉
・ケヤキの芽ぶきがばらばらな年は遅霜がくる。〈東村山市、東大和市〉
注) 当時は春の降霜による桑の生育への影響が大きかった。
・蜂が低い場所に巣を造るとその年は台風が多く、高い場所に造れば台風が少ない。〈所沢市、東村山市、東大和市〉
・月が暈をかぶりその中に星がなければすぐに雨が降るが、もし星が一つあれば翌日か二日後に雨が降る。〈所沢市、入間市、東村山市、瑞穂町〉
・カッコウドリが鳴いたら田植えを始める。〈東村山市〉
・小麦の花かけは豆の播きしん。〈東大和市〉
注) 花かけは小麦の花が咲く時期のことで5月の節句過ぎのころをいう。