最低賃金を規制してきた賃金協議会の機能が弱化され、社会保障給付認定の厳格化と引き下げが進行していく。しかも、社会サービスの再市場化、つまり社会サービスの料金化とその引き下げが貧困層を狙い撃ちする結果となる。
しかし、「福祉国家の危機」という現象が「財政」を媒介環として生じていることを忘れるべきではない。「福祉国家の危機」とは、ウィレンスキー(H. L. Wilenski)によれば、「福祉・租税反対運動(welfare-tax backlash)」の結果であり、オコナー(J. O'Conner)によれば「財政危機」の結果である。4つまり、「財政問題」の発生を媒介にして、「福祉国家」の危機が生じたと考えられているといってよい。
1980年代を契機に、租税問題や財政問題を見直さざるをえなくなるのは、「福祉国家」の現金給付を支えてきた法人税と所得税を基幹税とする高い租税負担率の租税制度が動揺し始めたからである。市場経済の外側で市場経済における弱者や敗者に現金を給付しようとすれば、市場経済での強者や勝者に課税せざるをえない。
ところが、1980年代を契機に、法人税や所得税で市場経済での強者や勝者に課税することが困難になる。そうなると、市場経済での弱者や敗者に対する現金給付も機能不全になってしまう。1980年代を契機に社会保障制度をめぐる議論が、国民負担率、直間比率、租税か保険などを租税制度と関連づけて展開されるようになったのは、高い負担水準を実現した法人税と所得税を基幹税とする租税制度が1980年代を契機に動揺し始めたからにほかならない。
福祉国家型租税体系の動揺
所得税と法人税を基幹税とする福祉国家型租税体系が、1980年代を契機に動揺していく有様を、コロラド大学のスタインモ(Sven Steinmo)が見事に描写している。スタインモによると、1980年代を契機に、租税負担率と経済成長率との関係が一変する。第1図に示したように、1970年代には租税負担率と経済成長率との間に相互関係を認めることはできないのに、1980年代になると、租税負担率と経済成長率との間に明確な逆相関関係が形成される。つまり、租税負担率が高い国民国家は、経済成長が停滞し、租税負担率の低い国民国家は高い経済成長を遂げるという逆相関関係が鮮明になってきたのである。
こうした1980年代に生じた変化は、市場経済のグローバル化、ボーダレス化に起因している。ポランニー(Karl Polanyi)の思惑を継承するポランニアン(Polanyian)達によれば、1980年代を契機とする市場経済のグローバル化・ボーダレス化は、人為的な「規制緩和」によってもたらされたことになる。5つまり、ポランニーが奇しくもその名著『大転換』を世に問うた1944年に、アメリカのブレトン・ウッズで成立したプレトン・ウッズ体制が破綻したからだということになる。
4「福祉国家の危機」については、田端[1998]を参照されたい。
5Helleiner[1995], 参照。