もし、「分権しようにも町村は能力が低いので、市町村合併しかないじゃないか」との声があるならば、自主的な市町村合併をやることも非常に大事なことですが、一方では広域連合で足らざるところを皆で補いながら、一緒にやっていく方法もあるのではないかと言いたいのであります。これからもどんどん分権を町村にやらせても、それに十分対応できるわが国の町村であるということを申し上げておきたいと思います。
【横島】わかりました。山出市長、ひとこと財源の点で補足的なお話があったらうかがっておきたいと思います。
【山出】財源の一般論というのは、よく理解ができます。しかし、具体的な財源の議論ということになりますと、私はまずそれにふさわしい事務権限の委譲があって欲しい。そこではじめて具体的な財源移譲の議論ができるはずだ、という思いを持っていることを申し上げます。
そこで一言、権限委譲のあり様についてですが、3,229の市町村に押し並べて成されるということが望ましいことです。しかし、現実の取り扱いということになりますと、やはり能力等に応じた権限委譲というものが、私は優先されて然るべきという考え方です。行政が体制を整えて能力を持ち合わせていくためには、その一環として、市町村合併の推進というのは避けて通れない課題ではなかろうか。こう心得る次第です。
【横島】ありがとうございます。山本さんの町、山出さんの市、いずれも力のある所はできるけれども、必ずしも全部がそうではないという実態もあると思います。この辺をどうするかということになりますと、県段階での指導というのでしょうか、補助的役割というのもこの分権推進には重大な関わりになってまいります。それらも含めて財源的な補てんという視点で、貝原知事、まとめのコメントをいただけませんでしょうか。
【貝原】今回の動きをみておりますと、自治体のあり方については、「介護保険は市町村で担当すべきだ。そういうことで制度を作る。しかしながら今の市町村では、行財政能力が足りないところがあるので、そういうところは合併すべきだ」というような発想になっているのではないかと私は危惧しています。もしそういうことであれば、発想が逆なのではないかと思います。
自己決定、自己責任を果たすためにも、住民の参画がたいへん大切だということは当然ですが、たとえば何かの計画づくり、政策決定をするという段階で、審議会や調査会を作って、そこで議論するだけでは不十分だと思います。本当の住民参画を進めていくためには、やはり一定の責任を持って行政自体に住民が参加する仕組みがたくさんある方がよいのです。たとえばアメリカの行政委員会では、「交通運輸についてはこういう住民組織が担当します」、「住民福祉についてはこうだ」、あるいは「教育についてはこういった教育委員会、ボードを作ってやります」というように、いろいろな住民の方々が、さまざまな形で参画しながら意思決定をしています。私は、そういった多元的な行政権限を持っている組織とか機関がたくさんある方がいいと思っています。