だいたい全国津々浦々がほぼ同じような行政サービスと申しましょうか、生活を楽しむことができるという体制まで来たわけです。われわれはこれを「ナショナルミニマム」と言っております。いわば行政が提供すべき最低限のものを整備してきたということだと思います。この過程はやはり中央の政府が全体を広域的に見て、そして効率的に資源を配分して、目標を定めて、なるべく早く整備をしていく。それがまた同時に公正であり公平であるということであったのではないかと思います。
しかし、だいたい1980年代にこの辺がほとんど先進国並みに整備されてきますと、それから先のいろいろな行政需要というものは、各地域によって状況が非常に違うわけです。暑い所もあれば寒い所もありますし、経済開発が進んだ所もあれば、あるいは過疎の所もあります。それからまた住民の方々の価値観にしても、たいへん多様である。やはり経済を第一と考えられる方々もおられますし、あるいは自然とか環境とか文化とかというものを大事にされるという方々もおられるわけです。そういうふうに非常に多様な価値観、そして非常に状況の異なる地域、そういう所に対してまったく同じものを統一的、画一的に配分するということは、たいへんな無駄をしてしまうか、あるいはたいへん足りないことをやってしまうかということになりかねないわけです。
その時点から先の行政というものは、もちろんナショナルミニマムを維持していくということは必要ですが、その先のことについては、なるべく地域の方々にお任せをしていく。地域の住民の大多数の方の定める優先順位に従って行政サービスが行われる。いわゆる「住民自治」の形になっていく。これがもっとも望ましいわけです。そうしないとだんだん行政が立ち行かないということになってこようかと思います。そのためには、やはり行政のいろいろな権限や財源や人材というものは、なるべく住民に近い地方へ、国よりも都道府県、都道府県よりも市町村という形に移していくことが望ましいわけです。住民自治というものの第一歩が、ここでようやく開かれることになったというのが、今回の意味であろうと思います。
それではこれで一体どう変わるのか、ということになりますと、これは必ずしも非常に大きな変化があるということではないと思います。たとえば学校ですが、就学校の決定が地方に任されるようになる。そうすると市町村によっては、もっと学区制を自由にしてしまう、広域的にしてしまうようなこともできるわけです。あるいは学期の日程なんかも任されるとか、学級編成も場合によっては市町村の責任で30人学級も実現するようなことも可能になる。
そういうようなことが、たとえば具体的には数多くあるわけですが、一つひとつはそんなに大きな変化ではありません。ですから私は出発点と申し上げたわけで、これから先それをどこまで進めていくかというのは、まさに皆さん方の意思にかかっている。やはり「こういうものはどんどんおれたちの方に任せてくれ」という国民の意思が非常に強ければ、これは政治的にあるいは法律的にどんどん変わっていくということになっていこうかと思います。それが今回の地方分権の意味である。したがって今回のことは地方分権の出発点である。こういうふうに考えているわけでございます。