自然とつきあって感じる…命の教育カリキュラム
藤岡−コーディネーターがあんまりしゃべっちゃあいかんのですが、さっきからこれをみておりまして、かなり腹が立っております。なんでエビアンよ、と。フランスですよね、この水ね。本当はどうかわかりませんけども、もともとはフランスのお水ですね。で、これ入ってるのが、ペットボトルですね。ペットボトルというのは、ある意味では、ごみ問題の象徴のような話でありまして。これまた私の授業の話なんですけれども、学生達、これをしょっちゅう飲んでおります。エビアンであったり、他の物であったりするんですけれども、「君たちこれ飲んだあとの空になったペットボトルの所有権は誰にあると思うか。」と言う質問を始めました。最初、学生達はキョトンとしてるんですねえ、それはなんのことか彼ら達にはよく分からない、そこで、解説いたしまして、−奥さん方は、女性方は2リットル入りのペットボトル、お醤油だとか、いろんなもので買っておられると思いますが、−2リットル入りのペットボトル10本で大人の作業服、1着分の繊維になるんだよ、と。ペットボトルの成分はポリエステルと全く同じですから、ポリエステル系の衣服ってたくさんありますよね。ところが、現実はどうなっているかと言ったら、「学生達よ、君らはこれをポイと捨てちゃうからゴミになるんだよ。」と、「自治体がゴミとして集めて焼却炉で焼くんだよ。高い温度がでるから焼却炉が傷むんだよ。おかしいとおもわないかい。せっかく繊維として使える物を君たちゴミ捨ててるのと同じだ。だいたいなんでこんな物買うのよ。」とここまでいくわけですね。まあ、水道の水を飲めとはなかなか申せませんけれども。
もう一つ私、腹立ってるのは、これなんで剣山の水じゃないのと、いうところもあるんですけども。一人ひとりの国民が、あるいは消費者がといってもいいんですけども、生産者といってもいいんですけども、一人ひとりの人間が環境の問題を考えて、自分がどういう生活をすべきかという、ひとつの生活信条と申しますか、生活哲学と申しますか、そういうものを切り替えるのは非常に大事なんですね。しかし世の中、善人ばかりで構成しているわけではないんですね。私の講義の仕方がへたくそなんでしょうけれども、私の講義を聴いた学生達が、やっぱりペットボトルというのは空いたら回収してくれる所へ持って行って繊維に作り直してもらいやすくしなくちゃいけないんだ。と頭では解る。しかし、誰々君がやっていないんだから、私なんでやらなければいけませんか、と法律でそんなこと決まってないじゃないですか、というようなことになってしまうわけですね。だから空いたペットボトルをあいかわらず、自治体が集めて、自治体の清掃局の人達は頭を痛める。それがまた自然環境破壊につながっていくと。自然環境と人間の生活との調和がとれると申しますか、共生できると申しますか、そういうことを考えざるをえないんじゃないかなあと、かといってそれができるまで、私は自然環境を破壊し続けるという人はこの中にはおいでにならないと思うんですけれども。
考え方を変えなければ、仕組みも変わらないのかもしれませんけれど、仕組みも変えないと事はうまくまわっていかないということがあろうかと思うんですね。千賀先生最後を締めくくっていただけませんか。