ただ、こういうやり方は票を稼ぐという日本古来のやり方、古来のというのもおかしいんでけども、日本の戦後の農政のやり方からみれば非常に便利な手段なんですけれども果たしてそれで農村を守れるかと、私はそうではないと思うんですね。むしろ井元さんのおっしゃるように知恵を出す。その地域、地域で知恵を出して、自分の地域を活性化する手段を見つけたところが生き残ると、そうでないところは、なかなかうまくいかない。
ですから、それを今日のテーマに繋げていきますと、ふるさとの環境をちゃんと守ってくれるのは、そういう知恵のある、知恵から元気が出てきた地域だって、ただ、補助金目当ての、補助金頼りの生活をしておった所はうまくいかないと。そういうところの山や田畑は荒れていくというようなことになっていくんではないかなあと。ただ、知恵をどうやって出したらいいのか、どういう知恵があったら成功するのかということが非常に難しいところなんですね。これには単に農業をやっている方、漁業者だけが知恵を出すんじゃなしに、むしろこれは千賀先生のおっしゃったことにもなるんですが、消費者サイドのほうがどんどんそういう事情をわきまえて、自分たちの生活と第一次産業で生活している方達と、手を繋ぐと、言いますかね、両方の利益になることは何かということを見つけたほうが勝ちではないかと。ちょっと口はばったいことを申しますとそういう感じがいたします。立松先生、私が長くしゃべったんですがそういうふうな感じってのはどうなんでしょうか。
知恵を絞って考えることから始まる
立松−僕も消費者運動っていうのではないけれども、そういう団体の会員でもあって、自分たちの命を守るのは、自分たちで守らなくっちゃいけないっていうのがはっきりしちゃったんですね。何でも食べるってわけじゃなくって、普段家で食べるものっていうのは農産物にしろ、ちゃんと目配りしながら食べたい。
今日、ご家庭の、主婦の方もいらっしゃると思うんですが、そういうものをちゃんと作っていく農業の中で生きていきたいって言うんですか、でも全体からいうとそんなこと個人でできるわけがないんでね、もうはっきり言って、僕は小さなコミュニティーっていうのかな、そういう関係を農村と作るっていうふうな感じになってるわけですよ。もう、この米は誰々が作ったもの、何と何を買うとか、その団体の中で野菜は食べていくっていうふうになってきてしまってきてて、一時バブルの頃は、価格がどうのこうのって言われました。日本の農産物は高いじゃないかって、そりゃ、高いに決まってるんですよ。土地の値段なんか全然違うんだしね。薬かけて、殺虫剤や除草剤ガンガン使ってやるものより高いに決まってるわけですよ、有機農業にすればね。ですから僕は価格破壊に巻き込まれない農業っていうのを自分たちでは考えているんですね。ちょっと説明不足でわからないと思うんですが。作っていく人達と手を結んでいくってのかなあ、僕はふるさとづくりにもそれが繋がっていってね、できたらこれは夢ですけども、農村に帰りたい人はどんどん帰って、第二の人生でもね、定年なってからでも、農業できるシステムができればいいなあとか、それから、もう一つやりたいのは、畜産の酪農のことなんですけども、どなたかさっきおっしゃった、子どもが自然から離れすぎていってね、命の尊さとか全然わからなくなってきていて、それが牧場なんかに行けばね、命の教育、カリキュラム−実は、それ、中央酪農会議と一緒にもう始まっているんだけど、心ある先生と結んで、子どもを牧場にいれて自由時間とかそういうカリキュラムができてきたんですよ。