つまり、その周りの水は透明になっていて、実に美しい水になっているわけです。"あし"は悪いから"よし"と言いますけども一本の葦の浄化能力なんてのは、そりゃあ大したことはないかもしれない。しかし、何億本だかわからない数え切れない葦があってですよ、そこを流れる水が見事に浄化されていくんですよ。
一本の草の力っていうのはね、すごいもんだなあっていうふうに思ったですよ。
公害問題で失われた山の豊かさを
今、仲間たちで呼びかけて
少しずつ取り戻しています。
実は僕のふるさとの足尾というところ、栃木県に足尾銅山っていうのがあってね。足尾鉱毒事件っていう、渡良瀬川という川が利根川の支流なんですが、足尾鉱毒事件っていうのは明治の40年ぐらいに社会問題になった。日本の大きな公害問題の第一号といわれているところで−まあ、この話するとあと3時間くらい必要なので、踏み込みませんけれども−源流域というのは禿げ山なんですよ。銅山の開発でね、もう、山火事があったり、木を切りすぎて禿げ山になってしまって、もう鉄砲水がでる、そして昔の農業というのは自分のほうに洪水の水を取り入れる農法だったんですね。つまり、一回農地が水に浸かると3年は肥料要らず、3年も4年も肥料が要らないという農業だった。だから歓迎だったわけです。ただ、刈り取りが終わってから来てほしいんだけれどもね。なかなかうまくいかないんですが、で、まあその源流域ってのは見事というか、茫漠たる禿げ山です。
もし機会があったら見てください。今でもそんなような状態ですよ。で、僕の母方の里なんですけどもね、いくつか小説にも書かせてもらいましたが、そこに、これも5〜6年、仲間と木を植えてるんですね。そこの植林というのは、町道がないんで、ただ、「木植えに来てください」って言っても土がないんで、「土持ってきてください」っていうんです。「土持ってきてください。苗持ってきてください。お弁当も持ってきてください。来たら千円取りますよ、事務経費。あとカッパも必要でしょう。クワもスコップも要るでしょう」って呼びかけてね、まあ、だいたい関東一円ですけども、毎年500人、600人来てくれるようになった。