それで太陽を求めて、葉っぱを拡げているわけですね。ところが条件がよくて、大きな一本の木が育ったとします。立派な木が育ったとすると、日陰ができてしまう。日陰ができればですね、太陽が当たりません。太陽が当たらないから太陽を好む植物は生きるのが困難になってくる。しかしうまくしたことにね、太陽を好まない植物がいる。シダとかキノコの類ですね。太陽が嫌いな植物もいるわけですよ。つまり大きな一本の木、日陰を作る木は、シダとかキノコに対して棲む世界を作ってあげているわけですよね。自然というのは無駄がないですよ。全く無駄がないです。
すべての生き物は、
なんらかの意味を持っているんです。
僕のよく行く北海道の阿寒の森で前田一歩園という大きな森を作っている財団があるんですね。これは人間は森を作りながら木を切って生活しなければいけない、ただ森があるだけではこんな立派な建物も造れないし、何とかうまくどっかで、共生していくというのかお互いに森と人間とのつきあいをうまくしていかなくちゃならないわけです。要するに木を切らなければいけない、家が建つことができませんからね。それでその前田一歩園ではどうするかというとね、何区画かちょっと正確には忘れましたけれども、広い森でね、全体を12区画ぐらいに大きく割るわけです。そして、この木、立派なミズナラがあると、そのミズナラを12年後に切りましょうという計画を立てる。周りの木を全部切るんじゃなくて必要な木を切る。しかも冬に切る。今頃ですね。そうすれば夏行くと他のものを踏みつぶしてね、いろんなものを無惨にも殺しながらしかできないの。雪が降ったとこだと、周りのものを痛めないですむわけですね。それでその木を切るわけだけども、12年後に切るということを決めたらば、どうするかというと、その木の周りにミズナラの苗木を植えるんですね。ミズナラの苗を植えていくと、その若い木は日陰に植えられるわけだから大きくなることができませんでしょう、ですからどうするかというと、上へ上へ伸びることができない。しかし12年間しっかりと根っこを張るんですね。がっちりと根っこを張ってね。そして足腰の強い、いい木になっているわけですよ、若木になっているわけですよ。それで12年後に大きいミズナラを切ると突然、太陽が空から降ってきて、いい条件になるわけ、生きるのにね。そしたらグングン木は育っていくっていうんですよ。
そういうねえ、自然と場所というのはどのような無駄もない。全く無駄なところはない。全ての生き物は何らかの意味があって生きているわけです。カビひとつ、キノコ一個、全部意味があって、カビもキノコも葉っぱを分解したり、死んだものを分解したり土に返す循環をしているわけでしょ。光は万象の具というのは全てが露わになっている、何にも隠されていない、ひとつひとつのことが、どんなものでも無駄なものがないということを言っているわけですよ。
人間の社会もですね、無駄な人間という、そんな失礼な言い方はできませんけれども、それぞれひとり一人が必ず意味があってですね、何らかの意味があってここに生きているわけです。無駄な人間なんてない。必ずそういう意味があってこの社会を構成しているんだというように思う。僕は道ばたの草一本、石ころ一個、全部、意味があってそこに生きているんだというふうに思っております。