「光は境を作るにあらず 境また亡ず」消えてしまいますよ、ということ。つまり光というのは、これはまあ、仏様と考えてもいいし、まあその自然の摂理というふうに考えてもいいんだけども、光は、物と物、こっちの物とこっちの物を区別するために照っているのではない。そういうことではなくて、「こっちの物とこっちの物との区別がなく全部平等に飲み込んでいますよ」という考え方ですよ。もっと言えばですよ、自然というものはなにも隠されてない、「光は万象の具」というのは光のもとにさらされているということですから、なんにも隠されていない、私たちの周りに、我々の生活の周りに全部が露わになっている。「なんにも隠されていないんだよ、全部が出てるんだよ」という考え方。ただ、我々は全部が傍にあってもそれを認識することができない。見ることができない。感じることができない。それはこっち側のことですよね。ただ自然というものは全部がもう明らかに露わになっているという考え方。
例えば今は冬ですね。徳島は温暖な所でいいところだと思いますけども。僕は3年くらい前にフィンランドに行きました。フィンランドのオーロラを見にいったんですね。自分の娘と一緒に行ったんですけども、北極圏にラップランドという所があって、そこにオーロラがでるわけですよ。北と南とに今の時期は、北極圏、アラスカとか、シベリアに出ます。それから同じ形で南極に出るんですよね。それでラップ人というのは、先住民族、今でもたくさんいます。そこに昔から住んでる民族がいて、まあ白人ですが、ラップ人が案内してくれて、一番きれいに見えるポイント、といっても空にワアーっとでるんですが、周りにいい森があるから、そこから見上げようとかという趣向ですけれども、連れて行ってくれた。そして道々話していたら、「どうして日本人はオーロラに興味あるんだ?高い金を使って、飛行機代を使って、ホテル代を使って、遠くからやってくるんだ?」って聞くんですよ。「こんなん、オーロラなんかどこでもあるじゃねえか、こんなん、なにが珍しいんだ?」って彼は言うわけですよ。「日本人がなんでそんなに、こんな珍しくもないものを見にくるんだ?」僕らはもちろん珍しいから見にいくわけです。見たこともないものを見たいという、ただそれだけで行くんですけども、ラップ人は説明しろ、というわけですよ。なんでそんなにオーロラに興味があるのか、僕はうまく話せなかった。「そりゃあ珍しいからとか、見たことないものを見たいでしょう」とかそういうことを言えるけれども、どうしてなのかなあということを自分で思った。
そしたら彼は説明してくれました。なんで日本人は一生懸命にオーロラを見にくるか。それは昔、中国の、古代の時代に、中国の王后がいてね、王様の奥さんですね、北を走る竜を見たっていうんですよ。