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棚田に映る月。

水がきれいでなければ月は映らない。

水とは心のことです。

 

それでね、その時に月が照ってました。本当にきれいないい日でね、寒いですからね、月が照って雲がないと。しかし月光が落ちて、この銀色の、金色がかった光が、森に落ちているわけですよ。で、雪が光っているわけですよ。だからほんとうにきれいな風景の中に自分がいるんだなあというふうに思いました。

その時にね、僕はこんな考えをもったです。僕は今、道元−日本に禅を伝えた道元禅師−について小説を書いてましてね、これ、苦労してやってる最中なんですけども、道元の言葉に「光は万象の具」という言葉がある。難しい話でないですから、構えないでください。難しいことも易しく話しますから。「光は万象の具」というね、「光」は光ですね。「万象」というのは百千万の万に象という現象の象です。光というのは全ての現象を照らしてるんだ、ということ。そういうことを正法眼蔵という本にでているわけです。「光は万象の具」というのは月の光ですよね。月の光が森に照っていて、落ちていて全ての森を照らしているわけです。この月の光っていうのはきれいですね。太陽は恵みの根本だけども、月は美しいです。そしてそこで月の光を見てて、風邪をひきながら、「光は万象の具」と僕は思っていたんですけども。月があります。五月くらいになると、田んぼに水が張られるでしょう。この辺もちょっと山の方に行くと棚田があるでしょう。段々畑がねえ。

それから、たとえば長野県の姥捨という所に"田毎(たごと)の月"というたくさん水がね、段々畑に、まあ棚田という言い方をしますが、水が張ってある。そして風がない、静かな夜にですね、水はピクリとも動かない、鏡を埋めたような状態になっているときに、そこに月があって、その田んぼのひとつ、ひとつ、一枚、一枚に全て月が映っています。そしてそういう風景を想像してみてください。僕は茶碗を持っていて、−ちょうど、こういう機会に−水でもお酒でもいいですけども、水を飲もうとして、こうやって、あの水を茶碗に静かに捧げ持っています。ここにも月が映っています。そして、あの、この月がどれが本物でどれが偽物であるかということはない。全てこれは月であります。そしてここに月が映っているためには、空に雲があっては月が見えないし、風が吹いていて水面がザワザワ、ザワザワ波立っている、それでは月は映りません。僕は今、こう、ちょっと持っているけども、人間って震えてしまう。これでは月は映らない。もしくは映っても揺れて歪んでしまう。これあの、お坊さんですから、この水に映る月っていうのは、濡れもせず、減りもせずという見方をしてるんですが、水がきれいでなければ月は映らない。水とは心のことです。人間の精神のことであります。その精神がピシッと静かに、穏やかにしていれば、月は揺れないでそのまま映っています。私たちの心もですね、そのように月を宿そうというのは、これは仏教の話ですけども、どのようにも解釈できます。道元という人は、お坊さんですからまあ、月というのは仏だという例えになるわけです。仏というのは、人それぞれの心の中に映っている。しかしその心が揺れたり、波立っていたり、濁っていたりすれば、その仏も形が歪んだり、濁ったりするということですね。

 

 

 

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