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昔のような杉、ヒノキの柱はもうほとんど姿を消して、みんなラワン材を張ったようなパネル工法の家がふえてきました。実際に東南アジアとか、そのような木材の産地へ行ってみますと、昔は2メートル、3メートルといった巨木がどんどん運び出されていたんですが、今は1メートルを超える材木を見ることはまずなくなりました。今それだけ私たちの資源の量が極めて悪化をしているわけです。

その一方で、私たちの生活を見てみましょう。例えば日本は、文句なしに世界最大の食糧の輸入国であります。国内の自給率はわずか4割しかありません。そのうち日本は、農水省の統計によると、私たち1日2,700カロリー食べている。ところが、今度は厚生省が各家庭の食卓を調べたら、2,100カロリーしか食べていない。600カロリーどこ行っちゃったか。これは残飯で捨てられたわけであります。ですから、世界一の食糧輸入国は世界一の残飯の生産国でもあります。1日1,800万食供給される学校給食のうちの300万食は全く手つかずに捨てられているという推定もあります。ただ、魚がこれだけ世界中の海が空っぽになっているのに、実はとった魚の3割以上捨てています。網でとってきますね。すると、その中には大き過ぎるの、ちっちゃ過ぎるもの、形の悪いものあります。これは全部捨ててしまうわけです。ひどいのは、エビの卜ロールなんていうのはとった魚の98%捨てています。それはいろんなもの一緒にかかってしまうわけです。というわけで、はえ縄にしても、流し網にしても、そのような漁業によって膨大なものが捨てられています。市場に持っていっても、大き過ぎるの、ちっちゃ過ぎるのは規格外として売れないわけです。というようなことが平気で行われていますし、熱帯の木材が少なくなっているというのに1本の木を切るために50本ぐらいの木が犠牲になっています。木をぼんと切って、鎖でつないで無理に引き出してくるわけですから、周りの木がばたばた倒れていくわけです。そういうむちゃくちゃなことを私たちはやっているわけでありまして、それを私たちが実は偉大なる進歩と思っていたわけです。

最初に、電気洗濯機が入ったときの喜び、これ知っている方はもう我々の世代以上でしょうが、私も子供男4人でしたから、電気洗濯機が家に入ったときの母親のうれしそうな顔って今でも覚えています。それが電気冷蔵庫になり、それがテレビになり、カラーテレビになり、エアコンになり、そして自動車になり、パソコンになり、携帯電話になりというように、私たちは果てしなく自分たちの周りのものを集めてきたわけであります。そして、テレビが手でがちゃがちゃ回すチャンネルから指一つで動くようになったときに、ああ、便利になったと思ったわけです。私たちのすべての生活は、このような便利な、少しでも便利に、より多く、より豊かにという生活を追ってきたわけでありますが、過去50年前の日本は、フィリピンよりもGNPが低かったわけであります。アフリカ諸国と比べると、日本の所得は低かったわけです。世界の最貧国のワーストテンに入っていたわけです。それが40年たった今、日本は世界のトップスリーに入る金持ちの国になったわけです。皆さん、そんな実感がありますか。何か常に私たちは貧困感に悩まされて、もっといい生活があるんじゃないかと、もっと広いうちがあるんじゃないかと、もっといい家庭電気製品があるんではないか、もっとすばらしい自動車があるんではないか、私たちは一種の物質中毒にかかって、次から次へ物を追っかけています。これは日本だけではありません。最近のアジアもそうです。

このような私たちの発展と思う物を追っかけることは、地球が無限に人間に環境を与え、資源を与えてくれなくちゃ成り立たない私たちの自由であります。ですから、私たちがこんな大きな部屋を全部冷房して快適にこんな暑い日でもこういう会合が開けるというためには、どっかで一生懸命今発電機が回っていて、もくもくとCO2を出しながら電気を起こしているわけです。

 

 

 

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