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沖縄戦における米軍の沖縄本島への上陸地点が北谷から読谷村に至る中部西海岸であり、本島南部でまだ戦が続いている頃、すでに、本島中部には米軍による難民収容所が設置され、集落ごと住民が転居させられた地区が続出していた。そして、今日、この圏域面積の30%を基地が占め、沖縄の基地問題が集積している地域、沖縄の戦後を共有している圏域となっている。今日においては、圏域内の宜野湾市にある普天間基地の移設問題が内外の注目を集めているところである。圏域の南北にほぼ連なる形で基地が存在するため東シナ海側と太平洋側とを結ぶ肋骨的な道路体系が未整備のままであり、また、基地から発生する事件、事故は今なお住民生活に深刻な影響を与えている。このように、圏域内市町村は、戦後、基盤整備においても基地がもたらしている閉塞感が大きいとともに、基地返還跡地利用という今日的課題も共有している。

しかし、一方において米軍基地が多数あるがゆえに、県内他地域とくらべ、中部圏がとくに国際色豊かな地域となってきたことは否めないと思われる。中部圏には、沖縄を代表する、さらには、アジアを代表する米軍基地が位置し、基地経済と地場経済や街の賑わいが浮沈をともにしてきた。また、沖縄市などは、20数カ国の外国人が生活する国際色豊かな街であり、また、その風土が“チャンプルー文化”と言われる文化を生みだしたように、異文化を取り込み、活用してしまう文化的包容力の高い街でもある。また、中城港−台湾間のクルーズ船の就航、商店の看板その他にカタカナ語や横文字などの氾濫、多数の華僑や印僑の活躍その他、国際色の豊かさは、例示しきれないほど多々ある。

以上のように、沖縄は、歴史的にも、また、今日も、国際性、国際色の豊かな地域であるが、このことを今後の地域振興にいかに具体的に活かすかが問われている。本調査研究のために実施したヒアリング調査で、「沖縄は国際性とか国際的に有利な位置を活用するとかを何十年も言っているが、具体的成果が弱い面がある」と言った厳しい声が寄せられた。このためにも、グローバルな視点からの学習や人材育成・確保への取組の強化を欠くことができない。かっての海外留学生は、沖縄に帰ってきて、新しい沖縄の建設に活躍してきた人が多い。しかし、これからの国際化への取組は、積極的に海外で活躍する国際的人材の育成も視野に入れる必要があろう。

 

 

 

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