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■室町住宅

小林一三は、明治40年(1907年)、政情・経済不安の中で設立が危ぶまれていた箕面有馬電気軌道株式会社の経営について、沿線に住宅地を開発し、大阪への通勤による乗客を確保し、軌道に乗るまでの経営を支えようと考えた。その最初の住宅地がニューヨークの郊外住宅からヒントを得てつくられた「池田新市街(明治44年に室町に改称、昭和19年全市にわたる町名変更時に公称となる)」である。明治42年3月、鉄道の開通に先だって線路用地沿いに約27,000坪の土地を買収し、造成工事が始まった。

住宅地は中央大通り1本と町通り10本を軸に、1区画100坪の正方形の敷地を中心とする207区画が碁盤目状に配された。小林はこれを大阪に通勤するサラリーマンを対象に、我が国初の割賦方式で土地建物を販売した。また当時としては異例の宣伝用パンフレット「如何なる土地を選ぶべきか、如何なる家屋に住むべきか」を自ら作成し、郊外住宅の理想的な環境を説明し、煙の都に住む大阪市民に「風光明媚な箕面有馬電気軌道沿線での郊外生活」への移住を薦めた。

住宅はサラリーマンとその家庭生活に思いを寄せ、田園的趣味のある生活のための広い庭園や日当たり・風通しの良い家屋を目指した。

この住宅地には最初から「室町会館」があり、その1階では住民の利便性などに配慮されて計画されていた購買組合が、室町在住組合員の出資により経営されていた。

橋詰良一氏(当時、大阪毎日新聞事業部長)による「家なき幼稚園(現室町幼稚園)」の開園(大正11年)、町内会の社団法人化(昭和25年)など、その後の室町は独自のコミュニティと文化を育んでいる。

 

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現在の室町のまちなみ

 

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「池田新市街平面図」(明治43年)-池田文庫蔵

 

■呉服座跡

井戸の辻にあった「戎座」という小屋が、猪名川沿い呉服橋の南東に移転され、明治25年に増改築を行い「呉服座」となったとされる。昭和44年に廃館後、文化財として愛知県犬山市の明治村に移転、保存されており、国の重要文化財に指定されている。舞台は約80m2で直径5m余りの手動式の廻り舞台、深さ1.5mの奈落、幅1mの花道を備えた、定員600人余りを収容できる本格的な芝居小屋であった。歌舞伎、浪曲劇、社会劇、漫才、政治運動など多種多様に利用されており、大阪での桧舞台の登竜門でもあった。正月の歌舞伎顔見世興行や6月の豆興業を中心に人々の娯楽場として盛況であったが、テレビの普及と共に客足が減り、昭和44年1月に最後の新春大興業が行われる。廃館を惜しむ人々によって保存運動も展開されたが、時代の流れに抗することはできなかった。現在はその跡に碑が設置されているのみである。

 

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呉服座の跡を示す碑

 

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明治村の呉服座

(資料;「舞台と銀幕の世界」歴史民俗資料館)

 

 

 

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