日本財団 図書館


日本ではハンバーガーも含めたファーストフードを「ジャンクフード」とはよばないのである。またいまでは私の挙げた4種のファーストフードも単なる「スナック」とはみなされず、昼食にも夕食にも利用される。また手づかみで食べることも食事作法の改革だなどという表現は一面しか見ておらず、元来日本の都市では「買い食い、立ち食い」の類の食品は豊富にあり、ダンゴ、おむすび、寿司、駄菓子などは外で歩きながら食べてもよいものであった。寿司などの伝統食品が急速にファーストフード化を遂げたことの素地は、昔からあったというべきである。又「肉とパン」の取り合わせの新しさとはいっても、サンドウィッチは戦前から日本のレストランのメニューに定着していたし、スキヤキ、しゃぶしゃぶ、焼肉は60年代から大衆レストランのメニューの常備品となっている。寿司もファーストフード化店がポピュラーになったとはいえ、昔ながらの寿司屋は依然として存在している。日本そば屋も依然として存在している。

近代日本は外来文化受容に大きく開かれた受容性を示してきたが、戦後においては食と衣における多様化が際立って見られるようになった。「安く、早く、うまく」は必要とされるが、同時に手間暇をかけたグルメ料理も珍重されている。

グローバル化は、日本社会そのものの変化に応じて現れた現象である。というのも、同じような現象が、発達の度合いは異なるにしても中国の一部、東南アジアの大部分、韓国や台湾などでも工業化、経済発展、都市中間層の増大、高度教育化、情報化と知識の普及などの要因によって現れてきているからである。おのおのの社会の発展の状態に応じて進展するのがグローバル化に他ならず、その現象には各国各社会の伝統や文化要素のあり方が反映されているのであり、一律に同じというわけでは決してない。

 

8. McDonaldization3

 

しかし、一部の社会学でMcDonaldizationという用語が用いられるとき、その意味を、マクドナルドの宣伝4文字Q(Quality) S(Service) C(Cleanliness) V(Good value)をもじってECPC(Efficiency、Calculability、Predictability、Control)ととらえるとの見方はある程度有効であるかと思わせる。すなわち、マクドナルド化とは20世紀が追究してきた「一連の合理化プロセスの極点」を示すものととらえる視点である。「効率の良さ、計算性の高さ、品質の一定化、管理性のよく届くこと」といったマクドナルド的食品製造・販売・消費のシステムは、チャップリンの「モダンタイムズ」以来の機械に操られる人間のイメージがよく当てはまる。ファーストフード化は多かれ少なかれこの意味での「合理化」(M.ウェーバーの意味で)の極限を示すものと見ることはできる。しかし、日本社会の例でみたようにファーストフード化は日本人の食文化・食生活に浸透してはいても全体を覆うわけではない。70年代以後の日本の食文化は服装文化(ファッション)の場合と同じく、ファーストフード化は進展したが、同時に手間暇かけての職人仕事に依るハイカルチャー志向も強く生み出したのであり、むしろ二極化した衣食現象をもたらした。とともに、これは社会の多くの人たちにとっては一人の個人の中での使い分けとして存在する二極化に他ならず、決して階級化による分極化ではない。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION