日本財団 図書館


武家出身者、或いは武士教育の感化をうけた人材が産業界のトップを担うことは、如何なる意味があろうか。端的にいえば、武士的行動原理・規範をハビトゥスとしてentrepreneurshipに持ち込むことである。27 ハビトゥス化の詳細は註27に譲るが、幕末に武士となった渋沢は、経済活動の道義的指針として「道徳経済合一説」「義利両全説」「論語算盤説」を提唱した。鐘紡の武藤山治は、「温情主義」「協同の精神」「経営家族主義」を説いた。時代は下って、戦後の石坂泰三の思想にも「経済道義の高揚」などと掲げられている。明治以来の日本の経営者の精神構造の基底にあるものは、土屋喬雄の言葉を借りれば、ゾンバルト流の「利潤追求・資本増殖を『自己目的』として為す精神」としての(高度)資本主義精神とは異質の、「企業経営の目的を社会奉仕にありとし」、「社会的責任の理念も包含されている」ものを企業の指導理念として掲げるものである。28 これ即ち武士的dispositionと適性の生成であり、武士の生きる「場」特有の歴史、社会、慣習、規範が身体化せられ、その連続性、同一性が確保されていることの証しだと考えられるべきであろう。

無論、近代初期における経営者意識の発展を、現代企業家のそれに直裁に結びつけるのは安易かつ危険である。前述の如く、維新後の経済システム近代化プロセスは、日本的特殊性と西洋的システムとの化合プロセスであり、両者間での融合、共存、西洋的システムによる固有性の代替、固有性による西洋的システムの拒否といったプロセスの交互的進展であった。

維新直後から1880年代中葉、日清戦争終結から第一次大戦期の好景気まで、そして戦後の不況から昭和初期までの、所謂「家族主義的経営」を確立するに至るまで、経営者意識も変化を続ける。更には第二次大戦後の高度成長、日本的経営形態の一応の確立、そして1990年代の経済的停滞も、経営者意識と行動倫理に大きく影響する。しかし、日本の企業家が、明らかに欧米、特にアメリカ的経営者とは極めて異質なメンタリティを有するものであること、そしてその要因としては、上述の妬くの歴史=文化的要因が存在することは熟慮に値する。

経営者の企業行動倫理は、企業フィランソロピーの在り方、概念にも深く影響する。フィランソロピーというと常に、企業が集積した金銭的その他の富の社会還元があげられ、企業による慈善的活動、社会への金銭的その他の利益還元が問題とされる。換言すれば、「企業が」上げた利益の「上位下達的」還元の度合いが謂われる。しかし、企業の利益還元とは、このような形をとったものだけに限定されるべきであろうか。例えば、多種多様な福利厚生はどうか。企業による雇用の「安定」の提供は、コーポレート・フィランソロピーの一つのかたちとは考えられないであろうか。米国企業の多くが不況時に実践するlay-offの数、そして規模の大きさは、長引く不況を経験した1990年代後半の日本企業とも比較にならない程である。また、前述のstake holder問題とも関連するが、米国企業において、業績悪化のしわ寄せは、しばしば経営者にではなく、労働者の解雇というかたちで被雇用者側に寄せられる傾向が強い。29 業績悪化の折にはまず経営者と株主が責任をとらされ、lay-offは未だに最後の手段である多くの日本企業との大きな違いである。雇用の安定を第一義に据えた長期雇用制、そして、「家族的経営」は、社会構成員でもある従業員に対する一種の(企業側からの)社会貢献と考えられる。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION