株主は殆ど内部者或いは関係者であり、経営執行における第三者の存在と、その"第三者的"権限の形骸化をもたらし、これは、C.G.の在り方を、内部志向性を強くもつ「開かれていない」性質をもつものとして呈出させることになる。
既述の法改正を追い風に、株式取引の透明性確保、アカウンタビリティの増進、株主とのコミュニケーションの充実(特にIR=Investor Relationsの強化と情報開示)等が進むと、株式の所持形態の多様化が促進され、第三者的ストックホルダーの増加、外国人及び年金による株式保有機会の増加などが期待され、「グローバルスタンダード」化の方向で株取引の形態変更が進むであろう。17 この潮流は、経営関係における「株主価値」の向上につながり、不可避的にC.G.の在り方自体にも影響を及ぼすであろう。
しかしそれでも、株主利益尊重への過度のシフトがおきるかは甚だ疑問である。アメリカ型ガバナンスは、経営者に対する牽制力の強さを基礎に、透明度の高い企業経営を促す。
また、内部の管理者・従業員の支援をえずとも、思い切った企業改革、経営改革の断行が可能なシステムを提供する。その一方で、株主偏重を余儀なくさせられていることから、改革の方向は、多くの場合、企業の長期的利益を無視した、株価の維持・上昇のみを重視しての、短期的利益を志向したものになる傾向が非常に強いようである。また、しばしば役員の報酬が社会的批判をあびる程に高額になることが多い。因みに、1996年のアメリカの一般労働者の報酬の伸びは、3%であった。同年の米国大手365社の経営トップの報酬は、前年の54%増であった。18
このような状況に対し、1998年9月に出された「日本のコーポレート・ガバナンス─現状と課題」と題する報告書でも、株取引の不透明性も含めた「日本的C.G.」の問題点が多数提起された一方で、「長期にわたる安定的且つ適正なリターンが株主にもたらされる」19 べく施策の重要性が指摘され、逆に、株主並びにCEOへの短期問での膨大な利益確保の為の従業員の犠牲は回避されるべきだということが示唆されている。また、「従業員能力の最大発揮に向けた取り組み」の必要性が強調され20、アングロ=サクソン的な、投機的動機のみから株主利益の向上が利己的に最優先させられるべきではないとの論調が支配的である。
日本では、安定的な雇用の継続を基底とした社会保障と福利厚生を、「株主利益」の(過剰な)確保に優先させんとする姿勢が、特に大規模な企業の多くにおいて、制度的、慣習的に強くみられる。このような事柄の根底にあるのは、企業の社会性を考えた上での(米国企業との)見解の違いであり、究極的には、「合理性」という概念に対する考え方の差異と、その経営関係への投影と考えられるべきであろう。