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次に、「年功序列」について。現在、殆ど制度化の域に達しているこの慣習は、その源流を江戸期の奉公人雇用制度に求めることができる。長期雇用制とともに日本企業の人事制度の根幹をなすが、「家族的経営」が成立をみる1920年代に、ほぼ現在のレベルでの制度化をみた。年功序列もしかし、形をかえずに一貫して在り続けたわけではない。転換期の最初は戦時中、特に1944年頃を中心に起こり、年功をあまりに重視し過ぎた結果、勤続年数において勝る労働者の賃金が、若年経営者のそれを上回るという珍現象がおきた11ことも手伝って、各企業での見直しが進んだ。昭和30年代中盤にも、やはり年功評価の行き過ぎから、修正が進んだ。日本経営史の専門家である由井常彦氏によれば、1990年代後半から現在までの時期は、三度目の年功序列の抜本的見直しの時期であるという。今後数年間は、画一化されたキャリアトラックの多様化を軸とした同慣習の再編・再統合が進展し、特に熟練度の高さ、或いは特殊技術を要求されるセクターで年功序列の見直しが進む。しかし、再編・再統合を経て、この慣習は存続するであろうというのが由井氏の見解である。12

年功制にムリが生ずるたびに「修正」が行われてきたという歴史的事実は、年功制の制度的保守性とは裏腹に、同制度に一定レベルでの合理性、経済環境への適合性が機能していることを物語る。トヨタ自動車では、1999年10月より、事務・技術職の組合員を対象とした新賃金制度を導入した。旧来の給与体系においては、20%が年齢給とされ、40%を占めていた職能給にもべース額が加味されていた。新賃金制度では、50%を職能基準給とし、業績評価による等級の上昇スピードに差をつけた。また、残り50%は職能個人給によるが、これも、査定の幅を拡大し、毎年の給与の上昇額の差を広げたものとなった。13 新賃金制度は、年齢給を基本的にゼロにしたものである。これによって年功色が払拭されたわけではないが、内部労働力の競争性を確保すると同時に、人口構造変化からの経済環境変動にも対応したものであるともいえる。

ホワイトカラーの組合員の年齢給をゼロにするケースは、外食産業、電気メーカーの開発職などの一部には、既にみられるものである。日本企業における年功序列制の多くは、勤続において生ずる能力差をメリトクラティックに反映させ、個々の人材の能力、競争力との弾力性をもつものであることは、再認識されるべきであろう。民間企業において、40才代以降の昇進・昇給人事を一律に行うことは不可能である。当然、異動・出向などを取り混ぜた、業績・能力本位の人事がなされる。人事制度面において最も「守旧的」であると考えられている中央官庁においても、30才代半ばまでの人事がほぼ横ならび"を特徴とするのに対し、その後の人事は、業績・能力的差異をべースとした昇進人事における個人差を前提とするものであり、出向も含めたキャリアトラックの多様化が特徴である。

年功序列制は、長年の勤続より生ずる経験と知識が生産性の向上に寄与するという認識に基づくものであり、事実、「長期雇用」の項で述べた如く、連続性を有する技術革新、即ちproduction technologyにおける技術革新には貢献的、適合的な制度であるといえる。年功制が或る合理的適合性を有し、さらには業績本位制を内包させ続ける限り、企業環境変化に伴い全ての局面において崩れてゆくことは無いと考えられる。その反面、国際化、情報化への即応が急務であるセクターにおいては、即戦力人材の「接ぎ木戦略」的確保も含め、企業側での対応が活発となってこよう。

 

 

 

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