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2]は企業内の開発・生産体制において、国際商品の部門を特化するのではなく、全体の商品開発部門の中に国際商品も含め、全社を挙げた商品開発に取り組む体制にしたものである。これによって「国内」「国際」と区別する発想を払拭することができた。

3]は企業アイデンティティの問い直しに発した「資生堂の特色」を製品づくりのコンセプトの中心に据えることであり、「日本の文化と西洋の美の融合によるハイブリッドな美の創造」、「東洋医学的アプローチと最新技術の結合」を商品コンセプトとして、「日本というカントリー・オブ・オリジン」を明確にしながら欧米の人々の肌の特徴をふまえた商品の開発が始められた。

具体的な商品から見ていくと、1976年にはまずイタリア、アメリカのスタッフと共同で「New Working Woman」をターゲットとするメーキャップ商品「インウイ」が開発され、1978年からは輸出専用メーキャップ製品「モイスチュア・ミスト」が登場し、これが国際市場でのヒット第一号となる。欧米人の肌がドライであることを考慮して保温効果を持たせると同時に海外消費者の肌の色に応じた色調調整を行い、パッケージには日本を発想させるデザインを用いている。このモイスチュア・ミストのシリーズは1983年、84年と連続してフランスのファッション誌「マリーフランス」が主催する化粧品のオスカー賞を受賞している。

「企業イメージ」の確立とその受容、そして「品質には絶対の自信をもつ」と言いきれる技術力に支えられ、コンセプトの明確な国際統一商品を繰り出すことによって、ヨーロッパ市場での資生堂の販売は伸びつづけ、91年にはイタリアで強豪ランコムを抜いて販売実績でトップにのぼりつめたのである。

 

3. 資生堂の国際活動と「グローバリゼーション」

 

(1) 「異文化融合」としての国際化

このような資生堂の国際展開を見ながら「グローバリゼーション」という現象について考えてみたい。

資生堂の国際展開のターニングポイントは、繰り返すが、フランスでの「資生堂イメージ」の受容にあった。そしてその受容の背景には一世紀以上に及ぶ日本とフランスの芸術スタイルにおける影響の及ぼしあいが伏線としてあり、さらに「美」に対する両者の感性の親近性という条件があってはじめて可能になったといえる部分さえあるのであり、その意味では、ある文化の一律で一方的な影響や浸透ではまったくない。そして化粧品のメッカであるフランスでの成功という「お墨付き」がその後のヨーロッパ、アメリカ市場での資生堂の飛躍につながっていったのであり、ここには化粧品という市場における「フランス」というものの「意味」もまた大きく与っている。資生堂は現在、アフリカを除く世界59カ国に展開しており、その活動がグローバルであることに違いはないが、そこにいたる経緯は「グローバリゼーション」という均質で無機的な響きとは対照的に、アイデンティティのぶつかり合い、響き合いの中から生じた創造的発展の結果としての「異文化融合」である。

 

 

 

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