第2部 株式会社 資生堂の事例
1. ヨーロッパ市場への進出
(1) 現状と経緯
1997年度、資生堂のヨーロッパ市場での売上順位を見ると、イタリアで第1位、フランスで第11位、ドイツ第2位、オランダ第2位、ベルギー第8位、オーストリア第8位、スイス第9位、イギリス第11位。フレグランスを除いたメーキャップ製品についての結果とはいえ、化粧品というものが元来ヨーロッパに発し、またざっと思い浮かべるだけでもランコムやシャネル、クラランスといったスー パーブランドがひしめく化粧品業界でのこの実績は驚くべきものである。とくに日本で「資生堂」はダントツに一位の販売実績を誇る最大化粧品メーカーではあるものの、今では消費者の中に浸透しすぎて、かえって空気のような存在になり「ブランド」としての存在感は薄れている。多くの日本人消費者にとって、資生堂の海外での「プレステージブランド」としての華々しい成功は驚きであるとともに「意外」とも感じられている。
以下では、ヨーロッパ市場での資生堂の活動に焦点を当てるが、簡単にヨーロッパでの事業展開の経緯を示しておく。
<ヨーロッパでの事業展開の経緯>
1963年欧州圏ではじめてイタリアで資生堂製品を販売(代理店販売)
1968年資生堂コスメティチ・イタリア設立(100%出資)
1976年パリで行われた<‘77春夏パリ・コレクション>のへア・メーク技術協力
1977年3月 日本において、ファッションショー<6人のパリ>を開催
1977年12月 パリ大丸に資生堂コーナーオープン
1980年4月 資生堂フランス設立
7月 資生堂ドイチュラント設立
1986年パリの超高級サロン「カリタ」を資生堂グループに迎える
1990年フランスにBBP(ボーテ・プレステージ・インターナショナル)設立
1993年パリのパレロワイヤルに「レ・サロン・デュ・パレロワイヤル・シセイドー」開店
(2) 海外戦略見直しの出発点、―企業アイデンティティの模索―
資生堂の国際事業は1957年の台湾進出をもって本格的に始められたが、販売は決して順調といえるものではなかった。1963年にはイタリアで資生堂製品の販売が開始され、1965年にはニューヨークに販売会社が設立されている。1970年代半ばを迎えて国際戦略が見直されるまでは、基本的には日本の商品を海外に持っていって販売しており、話題としてもイベントに協賛出品した際の販売員の着物姿による「オリエンタルムード」がものめずらしくて一時的人気を博する程度のものだった。