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(3) フェミニズム

最後にフェミニズムとFaculty Club Cultureの関係を検討したい。

フェミニズムとは一般に女性の人権擁護をもとめる運動であり、そのかぎりで上述の人権問題と部分的に重なり合う側面もあるが、日本のフェミニズム運動はやや異なった展開を示した。たしかに日本には戦前から雑誌『青鞜』に代表される女性解放運動の蓄積があり、人権や環境の領域と同様に日本固有の文脈が形成されていたのであるが、フェミニズム運動は他の二者に比べてFaculty Club Cultureによるグローバリゼーションの影響を最も強く受けてきたのである。

日本では第二次大戦後に婦人参政権の導入によって法的な男女平等が実現していたが、その後も長らく社会の多くの領域で実質的な不平等が存在していた。こうした男女格差が問題視されるようになったのは、60年代から70年代にかけて「ウーマン・リブ」の波がアメリカから日本に押し寄せた時期であった。この 「ウーマン・リブ」以降のうねりは一般に第二派フェミニズムと呼ばれるが、そこではグローバリゼーションにともなうFaculty Club Cultureの影響が顕著であった。実際にも当時、フェミニズムの先進国であったアメリカの様々な運動・活動がジャーナリズムや人的交流を通じて国内に伝えられ、新しい思想や概念が積極的に輸入された。さらに各種の条約や会議など、アメリカを中心とする国際社会の動きに刺激されるかたちで、日本国内の運動・活動も進展していった。

そして80年代半ばには、女性差別撤廃条約の批准や男女雇用機会均等法の成立など、働く女性の権利が制度的に確立され、それにともなってフェミニズムや女性学・ジェンダー研究も盛んになっていった。この段階ではアカデミズムによるフェミニズム運動への関与・啓蒙普及が前面に登場し、積極的な役割を果たすようになる。その基盤となったのは、なによりもフェミニストたちが留学や在外研究を通じて現実の欧米社会を体験していたことであり、そこにはFaculty Club Cultureが大きな影響を与えていたのだった。80年代末以降は各種のメディアでもフェミニズムの問題が盛んに取り上げられるようになり、いくつか論争的なトビックも生まれた。とくに90年代に入ってからは、職場や学校でのセクシュアル・ハラスメントが社会問題化することになった。だが90年代後半になると、「セクハラ」に代表されるフェミニズム関連の用語もすっかり定着し、論争的なテーマが登場する機会も減少している。

このようにフェミニズムの分野においては、アメリカを中心とする国際社会からの影響、とりわけ「ウーマン・リブ」以降のFaculty Club Cultureの影響が顕著であった。

以上、人権・環境・フェミニズムの3項目について、Faculty Club Cultureの影響を見てきた。ここまでの議論を要約すると、それぞれの領域にFaculty Club Cultureの影響と日本固有の文脈が見られたが、人権とフェミニズムの分野では比較的Faculty Club Cultureの影響が強かったのにたいし、環境の分野ではそれが弱かったといえるだろう。

 

 

 

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