この三つですね。軍の中でも部下はもう上官のいうことを聞かなくなってくる。上官自身、今の政治の中で何をしていいのかわからない。それどころか国民は軍人を敵とみる。ということで急速に軍の威信は落ちて、今のような状態になっているということだと思います。
それでは縮軍の可能性はあるのだろうか。非常に小さいといわざるを得ません。私が唯一その可能性があるかと思いますのは、軍の中に、具体的に名前を上げますと、現在の国軍の参謀総長にアグス・ビジャヤという人がおりますし、スラベシの国軍司令官にアグス・ビラハリクスマという人、これはハーバードのケネディスクールの卒業生ですけれども、そういう、何人かの確実に改革派だという人がおります。こういう人たちが軍の本当のトップをちゃんと抑えて、それで縮軍ができれば、それは唯一の可能性で、それもかなり早いテンポで、強行派などが自分の陣営を整理できる前に動かないとできないだろう。
そうでないと、クーデターという形でなくて、これはある英語の新聞で「クリーピング・クーデター」という表現があるのですけれども、要するに、軍が自分は政権をとる気はないけれども、政権を揺るがすためにいろいろな悪さをする。それで3年、4年して政権がどんどん漂流していって、みんなの間で国軍待望論が出たころになって政権をとる。むしろそういう可能性が非常に強い。だから、その意味で縮軍というのはおっしゃるとおり極めて難しい。では、どのぐらいの率でベットするかというと、おそらく1割以下ぐらいのベットしかできないのではないかと思います。
最後にネーション・ステート、国民国家の崩壊の問題ですが、政治が安定するためには社会的な連帯感があるか、あるいは国家が権威を持っているかのいずれかが必要です。もちろん一番いいのはこの両方がある場合ですけれども、このどちらかの条件が最低なければ、私は一つの国の政治が安定することはあり得ないと思います。
多くの国では、先ほど渡辺大使が民族国家ということをおっしゃいましたけれども、このグローバライゼーションの中で社会的な安定があれば、それは例えば日本であるとかアメリカの社会、あるいはタイのような社会ですと、それなりに社会的な連帯があって、社会的な安定がありますので、国家そのものがグローバル化の中で少し弱くなっても、何とか政治は安定する。だから、経済危機の中でもタイでは一度も略奪はありません。一度も暴動はありません。ところが、社会的の連帯の非常に弱いところ、要するに多民族で、言葉も違えば文化も違う、そういうところは社会的連帯が非常に弱い。そういうところで国家の威信がなくなりますと、そのときには暴動が起こる、略奪が起こるということになって、インドネシアというのはそういう例ではないかと思います。