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そういう歴史の中で唯一の例外が東ティモール。ポルトガルが占有していた地域が皆1940年代に独立したのに、50年代もありましたけれども、70年代までポルトガルが保有し、そして独立の準備が全くないまま、ポルトガルが放り出した。そのときに共産化を恐れたオーストラリア、あるいはアメリカなどの自主的な支援を得て、インドネシア自身も、自国の領土近辺にそのような政権の樹立を恐れて軍事占領する。

占領した結果が、単に東ティモールの内部における、ポルトガル文化に対する非常に近親感をもった人たちの抵抗のみならず、国際社会ではポルトガル、あるいはポルトガルを支援する西欧からの支援があって、インドネシアが形づくった政治国境ラインというものを破壊する方向に働く。そういうことがあったかどうか、陰謀があったかどうかはともかくとして、ポルトガル政府が出しているインターネットなどをみてみますと、明らかにポルトガル文化圏の回復ということがはっきり出ております。

そういう意味で、先ほど白石先生がおっしゃったように、確かに東ティモールについては国際的な枠組みが存在したということは事実ですが、その裏に、そのような歴史的な背景があったということを私どもはみておいていいと思います。

ということは、裏返していえば、これらの国々は植民宗主国に対して抵抗するということでパトリアティズムというものがあったけれども、その基盤を作るネーションがあったかどうか。多元的な文化、多様性に富む民族が集まって、たまたま国境内で独立運動をして成功した。したがって、いわゆるヨーロッパ、東北アジアでいうところの民族国家としての基盤が非常に脆弱であった。この脆弱であった基盤の上に、ある国は、開発独裁国家というものを作り、ある国は、単一民族としてシンガポール、他の民族もいますけれども、そういうところで民族国家の疑似体を作る。そういうことで国際社会における単位として活動し始めた。その脆弱な基盤のところで何が起こったかというと、経済問題の前に、文化的、社会的、宗教的な紛争が不断に起こっていたということだろうと思います。

私が申し上げたい一番の問題は、このような問題は単にインドネシアだけでなく、他の近隣諸国にも潜在的にあるということだろうと思います。私がインドネシアの前に赴任しておりましたエジプトにおいてもやはりこのような問題は存在しております。途上国全体において、植民宗主国の枠組みの中で独立した国家に対して、民族主義を基盤とした国家のルールを当てはめるというのは非常に難しいということについて、世界、国際社会全体がもっと理解を持たなければならない。そういう多元的な民族の中にその国の求心力を分裂させる方向に働く力というのは、単に国内からでなく、国外からも来ます。先ほど白石先生がいったリビアから、フィリピンから、あるいはその他の、中国からもあり得るかもしれない。そういう脆弱性に富む国々の集まり、これが地域機構として一つの傷をなめ合う形でこれから大事になっていくのではないか、こういう感じが私はいたします。

 

 

 

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