○渡辺 私にそれだけの能力があるか自分では非常に疑問に思いますけれども、努力してみます。
私が1994年にインドネシアに赴任するときには、いつスハルトが倒れてもおかしくない、私の前任である藤田JICA総裁もそのような気持ちで赴任した。国広大使もそのような気持ちで赴任した。そういう意味では、インドネシア、特にスハルト体制がいつかは倒れるだろうということは、諸先輩に限らず、私も覚悟して見守っていたわけです。
私が97年の9月に帰る段階では通貨危機の第一波が襲っていたときですけれども、それでも基本的にはインドネシアの外貨準備、あるいは基本的な政策そのものに影響があり得る可能性が非常に少ないだろうということで後任の川上君に託したわけですけれども、川上大使は、スハルト体制が崩壊した後ハビビ体制が崩壊し、ワヒドの今の困難な挑戦、これもみつつ、日本との関係を維持しようと非常に努力しているのを、私としては、現役ではない者として、外から見守り応援していきたいと思っております。
今、千野さんからも実体経済に対する配慮が国際社会に欠けているという話がありました。私のみているところでは、経済のみならず、社会、政治に対する配慮が、日本も含めて国際社会にもっとあってよかったのではないかという気がいたします。今、インドネシアで起きていることについて、民主化の進展とか、経済のグローバル化などがいわれていますが、それに対して、民族国家としてのインドネシアの求心力が衰えて、領土の一体性確保にも非常に困難が生じている、このようなことがよくいわれます。
しかし、私が皆さんに注意を引いてもらいたいのは、インドネシアが、我々のいうところの民族国家なのかどうか。西欧とか日本、中国、韓国のような意味での民族国家なのか。それを考えてみる必要があるだろうと思います。
第二次大戦後、確かに東南アジア地域の各国は国家として独立いたしました。しかし、その国家として独立するときに使った国境、国と国との境として引かれた国境線は、皮肉にもこれらの国々が戦った相手の植民宗主国が引いたものですが、それをそのままにして独立が勝ち取られたわけです。もちろん、その中でマレーシアとシンガポールが分かれてみたりしましたけれども、サバについてはフィリピンとマレーシアが争い、結局、英国が統治していたマレーシアの領土に入る。