つまり、インドネシアが武力で侵攻して併合してしまった。そのことに対する非難は一貫してありましたし、国連としても認めてないわけなのですが、少なくとも選挙をやるということで入っていった国連というのは、それは何も東ティモールに限らず、あらゆるPKOがそうだと思いますが、いかなる状況においても、中立であるということが大原則でなければならない。
ということからいいますと、当時の報道をみましても、国連のいろいろ伝わってくる活動をみても、独立を自明のこととして、併合派民兵は確かに悪かったわけですけれども、ややバランスを欠いていたというような印象を私はもっています。そのことが併合派を非常に絶望的な気持ちにさせた。ここは誤解されてしまうと困るのですが、一義的にインドネシアが併合したところに端はあったし、さらにさかのぼれば、ポルトガルが責任を放棄したというところにもあるわけですが、せっかく国連とポルトガルとインドネシアが話し合いにおいて選挙を行い、かつ、その後のトランッジションを進めるという役割を、もう少しきちんとした形でできなかったのだろうかと思っております。
そのことで他国機関、あるいは国際的枠組みという今回のテーマに戻してお話ししたいと思うのですが、国連の役割をどのように考えるのか、私たち日本はもっともっと考えなくてはいけないのではないかと私は思っています。
日本は「国連中心主義外交」という言葉だけはあるのですけれども、実態的には国連というものをどのように使うか、こういう視点がやはり足りないのではないかなと思います。つまり、当然のことながら国連というのは加盟国から成っているわけであって、事務局は別組織としてありますけれども、どこか遠くにあるものがあって、そこにお願いするような話ではないわけで、道具としての国連、つまり道具をいかに使うかということを考えなければならないと思うわけです。
今月はアメリカが安保理の議長をやっておりまして、安保理で初めてエイズの問題がテーマになった。これは国連として非常に異例で、実際、なぜエイズがテーマになったかといいますと、ニューヨークの特派員などに聞きますと、あれは大統領選で民主党のゴア副大統領の応援以外、何ものでもないというようなことで、一方ではアメリカが議長をやっていることで安保理を私物化するという批判もありますけれども、私はそのように使うことをもう少し考えなければならないと思います。