では、そういうところでこれから国際的にどういうメカニズムが必要なのか。私は、榊原さんがおっしゃったような、通貨基金のようなうまいメカニズムというものが政治の分野であり得るのかどうかというのは甚だ確信がございません。少なくとも軍事力のレベルではアメリカが圧倒的な力をもっておりまして、ここで日本が何らかの働きをする余地はほとんどないと思います。
ただ一ついえますことは、アチェの問題についても、あるいはアンボンの問題についても、そのことでいいますと、ミンダナオの問題であるとか、ビルマの周辺の問題につきましても、それなりにきちっとしたモニタリングのシステム、あるいはインテリジェンス、情報を収集し加工し分析する、そういうシステムは日本にもそれほどあるとは思えませんし、地域的にももちろんございません。そういうモニタリングとポリーシングのシステムを少なくとも作っておく。
ということは、例えばアチェにリビアから武器が流れるであるとか、アンボンにフィリピンから武器が流れる、そういうことを封じ込める意味でも、非常に意味のあることです。軍と違って、これからは安全保障というと警察的な問題が私はもっと重要になってくると思いますので、この分野では日本としてもそれなりにやることはありましょうし、地域的なサーベイランスのメカニズムのようなものを作り始めることは長期的には非常に意味のあることではないかと考えております。
予定の15分になりましたので、ここで終了させていただきます。
○モデレーター ありがとうございました。ただいま、経済、政治の面から政策当局者、あるいは学者というお立場からお話をいただきました。今度はジャーナリストの立場から、この地域の問題についてお話を伺えればと思います。千野さん、お願いいたします。
○千野 ジャーナリストというのは、平たい言葉でいえば野次馬でして、私がシンガポール支局長として赴任したのが96年の2月でした。帰ってきたのが98年の7月なのですが、その期間を要約して、私は、東南アジアの天国と地獄を合わせ見てきました、というようなことを話したりすることがございます。ビジネスマンにとっては経済が順調にいくことがハッピーなことであるし、一般の人にとっても、何事もニュースがない方が、私個人も市民としていえばそういうことなのですけれども、新聞記者としてみた場合には、何かいろいろ波乱、動乱が起こってくれた方が仕事のしがいがあるということからいえば、私は2年半でしたけれども、そこに東南アジアの転換点が集約されていた時期に居合わせたと思っているわけです。