その結果、もうインドネシアの国家などは信用できないと思う人たちが何をするかというと、昔ですと、これは体制が悪いのだということで、例えば社会主義政権を作ろうとして革命運動を始める。ところが、今はだれも革命を信じません。何をするかというと、インドネシア共和国というのは信用ならないから、自分たちが信頼できる国家を作ろうというように考えます。そうすると、それは例えばアチェの独立運動になります。
それに対して、インドネシアの国家の司法制度であるとか警察、軍隊というのは信用できない。正義というのは自分たちで、自分たちが執行しなければいけないと考えますと、それぞれ自分が正義だと思っている人たち同士が殺し合うということになりまして、これはアンボンです。
ということで、インドネシアでは現在、民族対立であるとか宗教対立、独立、いろいろなことが起こっておりますが、実際、それぞれの地方にはそれぞれ違う理由がありますけれども、基本的なところで共通の要因が実はありまして、それは、インドネシアの国家というものに対するインドネシアの人たちの信頼が本当に崩壊してしまった。それをもう一遍何とか回復しないとおそらくインドネシアの政治は安定しないし、政治が安定しなければ、インドネシアの経済がもう一度成長の軌道に戻っていくこともなかなか考えられない。
それでは、もう一つ、大きく地域的な問題として考えるとこれはどうなるか、どういう問題なのかということですが、実は私、今ちょうど出ております『中央公論』の2月号に「新しい帝国秩序」という連載で書いているのですけれども、そこで、この50年間にアジアの地域で成立したアジアの地域秩序というのはどういう構造的な特徴をもっているのだろうかということを議論しております。関心がおありの方は、原稿用紙で30枚ぐらいの短いエッセーですけれども、それをみていただければと思います。
私のみるところ、アジアの地域秩序というのは基本的に1950年前後にアメリカが作り上げたものですけれども、そこには大きく二つの特徴があるだろう。一つは、安全保障の体制としては、日米安保を初めとする、バイの安全保障の束として安全保障体制をこの地域に作っていく。経済的には、当初は少なくとも日本とアメリカと東南アジア、あるいは日本と韓国とアメリカとか、そういう三角貿易のメカニズムで貿易体制を組んでいく。そこに、やがて1980年代に入ってアメリカが直接入ってくる。そういう形の経済的な仕組み。