ところが、それではこれで政治が安定するかといいますと、ご承知のように安定しないわけです。実際にアチェでは分離運動が起こっておりますし、アンボンではこの1年の間におそらく7,000人ぐらいの人が殺されている。その他、カリマンタンでも民族対立が起こっておりますし、イリアンジャヤでも分離・独立運動が起こっている。
私は、つい5年前は、インドネシアがアジアのユーゴスラビアになるような可能性はほぼゼロだと考えておりましたけれども、こういう状態が続けば、本当にインドネシアはアジアのユーゴスラビアになるかもしれないというところまで事態は悪化している。
なぜか。先ほど榊原さんが見事に、クレディビリティーが崩壊したのだとおっしゃいましたけれども、これがかぎなのだろうと思います。このクレディビリティーの崩壊というのはどういうことかといいますと、これは政府というより、むしろ国家に対する信頼の崩壊と考えればいいと思います。
それはどういうことなのか。これは私がいつも使う比喩なのですけれども、国家というのはいってみれば自動車です。政府というのは運転手です。民主的なプロセスによって、総選挙が行われ、大統領選挙が行われ、それで大統領は選ばれる。ですから、インドネシアの人たちの多くは大統領に対しては非常な信頼をもっている。だけども、そのことは、必ずしも警察であるとか軍隊、あるいは司法制度、検察庁、あるいは内務省であるとか、そういういろいろな政府の機関、あるいは国家の機関に対する信頼が回復されたということではありません。
その例は幾つかあります。例えば、ジャカルタで泥棒がつかまりますと、泥棒は大体の場合にリンチを受けて半殺しにされて、それから警察に引き渡されるわけですけれども、この2年ぐらいは、半殺しにした後でガソリンをつけて燃やしてしまう、という例がもう20件以上起こっています。それから、これは昔からそうなのですけれども、ジャカルタの町で交通事故を起こしたときには決して止まってはいけない。逃げなければいけない。何でかというと、止まって、引いた人を助けようでもしたものなら周りの人間からぶん殴られて、場合によったらリンチを受けて殺されてしまう。何でそういうことになるかというと、要するに警察というものを信用しないからそういうことが起こる。そういうことが至るところで起こっている。
ですから、スハルト体制というのは、私はおそらく1980年代の後半ぐらいまではインドネシアの国家を作る上で随分いろいろなことをやったと思うのですが、最後の10年間ぐらいの間に、一度作った制度を壊してしまったと考えております。