したがって、環境税というのは非常に微妙になるわけですね。つまり税金なのかどうか、つまり歳入を目的にしているのか、あるいは減収になった方がいいのかということが問題になります。こういう例は幾つかありまして、サッチャー首相がイギリスのレートと言われている税金、これは救貧活動に使っているのに、救貧者が支払わないというのは利益原則に反するではないか、ということで、これをコミュニティチャージに変えたわけですね。そのときに反論として出てくるのは、いや、税金というのはもともとそうではなくて、公共サービスによって社会全体の秩序が維持されているという、全体の利益を受けるということで支払うのであり、個別に支払う税金ではないのだから、税ではなくなってしまうではないか、というふうに言われたものですから、タックスではなくチャージと言っているわけですね。環境税も恐らくチャージに近い、こういうことになるはずでございます。
自動車関係税も全部公共サービスの利益に対する対価として支払われる税金でございます。しかし、その利益は社会全体の秩序が維持されている、つまり社会契約をして社会が形成されている利益、例えば教育とか警察とか、いろいろなサービスで社会の秩序が維持されている、そういう利益に対して支払う税金だというふうにお考えいただきたいと思います。
したがって、こうした視点から見て公正、正義だという理屈で、自動車関係税を課税しなければならないんですね。もちろん基本的な基幹的な税収というのは所得税とか法人税とかという税金で取りますけれども、自動車を持っている人、自動車を利用する人というのは、警察サービスとかという公共サービスをより強く受けるから、自動車を持っている人はやはり少し多目に税金を負担してもらう方がいいのではないか、というのが自動車税だというふうにお考えいただければと思います。
そういう税金、利益説的な考え方に立った税金のつくり方というのは二つありまして、一つは市場取引にかける税金ですね。国家というのは、例えが悪いんですが、やくざみたいなものですから、暴力で秩序を維持しているわけですから、商売をやるのにだれのおかげで商売できているんだと言ってお金を取っていくようなものですから、まず市場税というのが考えられるわけですね。
もう一つは、財産とか、つまり神が与えたもうた自然に、所有権を設定するというのは一体どうしてそんなことが許されるんだ。それは政府が登記をして、登録させてそれを保護しているから、社会の秩序を維持して保護しているからでしょう、という登録税が始まります。