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○石 ありがとうございました。私は、近代の環境史に占める温暖化の問題と実際に今地球の各地で温暖化でどのような問題が起きているかということに関心を持っておりますが、最初にごく簡単に、なぜ私たちはこのグリーン税制を考えなくてはいけないかという歴史的な背景をご説明させていただきます。

第2次大戦後、日本は朝鮮戦争を経て奇跡の復興を遂げるわけでありますが、その結果、1960年代から大変環境が悪化してまいります。特に東京とか大阪では大気汚染とか振動とか、あるいは水質汚染、悪臭、地盤沈下といった、まさに世界の公害のデパートと言われるような惨状を呈するわけであります。このときにはイタイイタイ病、水俣病を初めとする4大公害事件が表面化したときでもあります。

そして1969年、これは実は環境史の上では大変重大な年でありまして、アメリカから発した公害反対、環境保護の動きが全世界に広まっていきます。日本はその翌年、1970年に公害反対問題が爆発的に広がったわけです。そのときに、政府は公害国会などを開いて一連の公害規制法をつくるわけでありますが、罰則を伴った法的な規制という形で環境対策に手をつけるわけですね。これは公害物質の排出を制限するとか、あるいは公害被災者に対する救済というものを含めて。

それが1970年代半ば以降になりますと、そうした厳しい規制を突破するために、各製造業では一斉に環境技術の開発が始まります。先ほど萩野さんのお話にありましたとおり、自動車業界では、例えばどうしたら排ガスから有害物が除けるかとか、あるいはどうしたら燃費を上げることができるかといった盛んな研究が行われて、日本の車は世界で最も低公害かつ低燃費の車というところまで来たわけであります。1973、79年の石油ショックを挟んで、環境どころじゃないということで、窒素酸化物の基準が緩められたり、さまざまな後退を余儀なくされた時代であります。80年代に入りまして世界的に経済が活況を呈しますと、またぞろ世界的に環境が悪化してきて、今度は1985年というのは2つ目の戦後の大きな環境史の変わり目に突き当たります。この年あたりを境に、今度は地球環境問題と言われるように、局地的だった環境問題が全地球的な規模になってきます。きょうの話にあります地球の温暖化問題、あるいはオゾン層の破壊問題、地球規模の化学物質汚染が明らかになって、この3つが大変大きな地球環境問題となったわけです。

そうしますと、今度は個々の排出源規制ではもう追いつかないわけです。二酸化炭素は私たち自身も排出源でして、これは会場の皆さんも今一斉に排出しているわけですが、それを考えた場合には、今度は単なる法的な規制、技術的な規制では、効果が極めて限られてきて、私たちの生活そのものを変えなくてはいけないという問題にもなってきたわけです。

 

 

 

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