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PROGRAM NOTE

戸田紗織

 

ハイドン: 交響曲第100番 ト長調「軍隊」

 

古典派交響曲の形式を確立した作曲家として「交響曲の父」と呼ばれるハイドン(1732〜1809)は、百曲以上の交響曲を残した。中でもロンドンでの演奏会のために作曲された第93番から104番の12曲は、ハイドンの交響曲の集大成ともいえる傑作揃いである。

1790年、ハイドンが30年近く仕えたハンガリーの貴族、エステルハージ侯爵が亡くなると、ドイツ出身の音楽家ザロモンのすすめでハイドンは1791年から95年の間に二度ロンドンを訪れ、ザロモン主催のコンサートのために12曲の交響曲を作曲した。このためこれらの交響曲はしばしば「ザロモン・セット」や「ロンドン・シンフォニー」などと呼ばれる。ハイドンの音楽と人柄は多くの人々を魅了し、音楽愛好家の貴族たちは彼を毎日のように夕食に招き、王室の人々も演奏会に足を運んだ。こうしてロンドンで大活躍したハイドンは、オクスフォード大学から音楽家として最高の栄誉といわれる名誉博士号の称号を授与された。

当時ロンドンでは、大寺院や大ホールでの大規模な演奏会が人気を博していた。エステルハージ家で20人ほどの楽団員を相手に創作や演奏活動を行なっていたハイドンにとって、これらの演奏会は刺激的な体験だったに違いない。「ザロモン・セット」には大編成のオーケストラを意識した管弦楽法が見られ、さらにこの滞在での体験がきっかけとなって、ハイドン晩年のオラトリオの大傑作「天地創造」や「四季」が生まれることとなる。

交響曲第100番は、ウイーンで着手され、二度目のイギリス滞在中に完成された「ザロモン・セット」の一曲。「軍隊」という呼び名は、第2楽章でのトランペット信号が軍隊風であることに由来し、初演当時すでにこの名で呼ばれた。この楽章は、「リラ協奏曲」卜長調のロマンスを転用したもので、さらにハイドンはこの楽章をミリタリー・バンドのために編曲している。

 

第1楽章 序奏部 アダージョ、ト長調、4分の4拍子。主部 アレグロ、ト長調、2分の2拍子、ソナタ形式。

第2楽章 アレグレット、ハ長調、2分の2拍子、三部形式。

第3楽章 メヌエット モデラート、ト長調、4分の3拍子。

第4楽章 プレスト、ト長調、8分の6拍子、ソナタ形式。

 

作曲年代:

1793〜94年。

初演:

ハイドンの62才の誕生日にあたる1794年3月31日、ロンドンでの第8回ザロモン・コンサート。

楽器編成:

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴッ卜2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、トライアングル、シンバル、大太鼓、弦5部。

 

マーラー: 「子供の不思議な角笛」より

 

「子供の不思議な角笛」は、ロマン派の詩人クレメンス・ブレンターノとルートヴィヒ・アヒム・フォン・アルニムが1805年から1808年に編集した民謡詩歌集で、多くの作曲家たちに霊感を与えた。中でもマーラー(1860〜1911)はこの詩集に深い共感をおぼえ、ここから一部題材をとって、「さすらう若人の歌」や「子供の不思議な角笛」などの声楽作品を生み出しただけではなく、交響曲第2番、第3番、第4番の声楽が入った楽章にその詩を用いている。

マーラーの「子供の不思議な角笛」への思い入れの深さは、その内容への限りない想像力と創作意欲へとふくらんだ。詩の中のことばはマーラー自身のことばとなって語り出し、そのためにマーラーはしばしば大幅な改作を試みた。例えば「トランペットが美しくひびくところ」は、原詩では4行ずつの4連から成る素朴なものであるが、マーラーは第1連、第3連以外を改作して付曲した。自身のことばによって再構成あるいは新たに創作することは、より強い詩と音楽の同質性を追求するための挑戦でもあっただろう。その意味でも、歌曲集「子供の不思議な角笛」は、マーラーの創作における独創性と精神性を示す傑作といえる。

 

番兵の夜の歌

番兵の孤独な叫びが夢と現実の交錯した真夜中の闇に響き渡る。恋人の幻想を見たのも束の間、軍楽的リズムが悲劇的運命を予感させる。

 

少年鼓手

マーラーの軍楽ものの中でも一際、深い諦観を歌い上げた作品。最後の"Cute Nacht"にはこの世との訣別の思いが込められている。

 

トランペットが美しくひびくところ

戦場におもむく若者と故郷で待つ恋人との悲恋の歌。軍隊のラッパを模したトランペットに続く葬送曲風の音楽は、やがて孤独に満ちた子守歌となる。

 

死んだ鼓手

倒れた戦友を助けることも出来ない過酷な戦場の様子が描かれる。音楽は壮絶な迫力をもって展開し、あとには重苦しい虚無感が残る。

 

不幸のときのなぐさめ

戦争によって引き裂かれた二人の運命を強烈なアイロニーと悲哀をもって描いた歌。不幸にあって唯一の慰めは愛を捨てること。軽騎兵が乙女を拒絶すると、乙女も彼を拒絶し、最後には二人で声を揃えてお互いを拒絶する。

 

作曲年代:

“番兵の夜の歌”1892年。“少年鼓手”1901年。“トランペットが美しくひびくところ”1898年。“死んだ鼓手”1899年。“不幸のときのなぐさめ”1892年。いずれの歌曲も作曲者自身によるピアノ版と管弦楽版の両方がある。

 

 

 

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