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お花を供え、いざ執刀式を迎え、メスを自分の手で入れた時、「ああ、もうこれで後戻りはできないぞ」と秘かに心に誓ったのを今でも忘れない。

医学の教育の中で、解剖学とは最も基本になる学問であるということは、おおよそ知ってはいたが、実際に実習を行うことによって、その意義の重大さに改めて気付かされると同時に、私は、人体の神秘ともいうか、何か奥深いものを感じてならなかった。皮膚という包みに被われている私達人間のその内部を見るというのは、医学を志す者のみに与えられた特権であることを私は常に心の中に秘め、実習を行っていた。初めて人間の脂肪、筋肉、神経、血管、そして内蔵の諸器官等、今そこにあるものを自分の目で見るということがどれだけ大事なことかということを今考えてみると、それは医師になることを志した私に対する試練でもあり、また、大いなるプレゼントとも言えるのではないだろうか。

私が特に感動を覚えたのは、心臓を取り出した時だろう。心臓というのは人間、いや、生物にとって最も大事な物であるというのは、ずっと昔から知っていたが、実際に取り出してみると、にぎりこぶしより少し大きい位の大きさで、これが私達の命の源であるというのは正直言って驚いた。そんなに大きくなく、また、そんなに凄いという感じも受けなかったこの心臓は、私の知識に新たなページを築いてくれたと思う。

三ヶ月という短い期間ではあったが、この三ヵ月間に学んだことは後々とても重大なことである。私はこの三ヶ月が無駄にならないように、そして、御献体された方々の御意志に報いるように、これからの医学生としての生活を送りたいと思う。

北條先生をはじめとする先生達に私は心から感謝したい。

 

 

 

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