「医学部では解剖実習がある。そこでは、御遺体を用いる。一人の人の命の最後の灯し火をお借りして行う。だから、立派な医師になり、その灯し火を別の人にお返ししなければならない。その義務がある。」
父のこの言葉を先程の看板を見る度に思い出していた。僕としても父の「最後の灯し火」をお借りして、という表現が最適だと感じていた。確かに、御遺体の方は皆、亡くなった方ばかりである。しかし、毎日の解剖の中で、僕は、御遺体から何かを語りかけられているような気がした。だから、─少なくとも僕には─御遺体の灯し火が感じられていた。
そして、無事に解剖実習の全課程が終了し、御遺体を火葬するために、棺を外に運ぶ際、先程の看板が再び目の中にとびこんできた。このときほど、その「最高の贈り物」という意味を感じられることはなかったように思われる。
そして火葬。この時に初めて、僕が二ヶ月近く、いろいろなことを教えて頂いた方の名前を知ることができた。そう思えば、その方の名前すら知らないで解剖を行ったのだ。そう考えると、その方の歩まれてきた人生、苦しかったであろう闘病生活、そして家族との別れなど。僕は、最後の灯し火の灯っている瞬間と、今こうして灯し火の消えていく瞬間しか知らなかったのだ。いや、もしかしたら、その灯し火は消えていないのかもしれない。僕の心の中で。そして、御遺族の心の中で。