若かりし日に、戦争という名の下に全てを奪われ犠牲にし、そのうえ戦後の混乱期を遊ぶことも忘れ、日本の復興のためにたくましく精一杯生きてきたのだろう。そして今、自らの体を提供することで、後進の我々にその魂を伝えようとしているのである。本当に有り難いことである。
初日の実習を終えて、心も体も疲れ切って寮に帰ったのを覚えている。献体の方の顔が脳裏に焼き付いたままベッドに横たわりいつしか眠りについていた。何時間ぐらいかしてうなされるように目がさめたベッドの上に座っていると、寮内の放送で呼び出された。母からの電話で、祖母が亡くなったとのことであった。
解剖実習の始まった日に、祖母は心不全のため八十四才で他界したのである。偶然とは思えないあまりに強烈な出来事だった。その日の晩は、祖母との思い出や昨年亡くなった中学時代の同級生のことなど、遠い郷里秋田のなつかしい思い出が、走馬燈のように頭の中をかけ巡り、なかなか寝つけなかった。
九月に入り、ようやく実習にも慣れてきた。慣れとは恐ろしいもので、時に緊張感や厳粛さを奪っていく。手よりも口が先に動くようになり、会話も世間話へと発展していった。しかしそのぶん献体の方が仲間のように思えはじめ、四人で一グループのはずがいつしか五人で一グループといった感覚になってくる。時には友達のように話しかけ、一人で実習しているときなどは悩みごとなどを聞いてもらったりもした。