学生四人に対し、一人の"ご遺体さん"を引き受け、簡単な説明があった後、驚くほどあっけなく解剖実習は始まった。しかし、そのあっけなさとは裏腹に現実はシビア。今までの知識が全て知ったかぶりに思えるほど、本物の凄まじさを感じる。そして、わからなくなる。一体、何をすればいいんだ─。"解剖学は実践の学問だ。チンケな机上の学習では何もできないぜ"頭の中で不思議な声が聞えてくる。
そもそも何のために実習を行うのか。最初、それを見誤っていた。解剖実習は実物と名称を照らし合わせることが目的ではないのだ。勿論、実物と名称をつき合わせることは大切なことである。しかし、当初それのみを念頭に置いていた私は、本物とのギャップに困惑したのだった。
実習が始まってしばらくたった。依然としてよくわからない状態が続いていた。実習のノルマをこなすこと自体にはさほど苦労しなかったので、分かったようなふりをするのは簡単だった。だが、何か満たされないものがあった。そんなある日、腰を落ちつけて解剖学の本を眺めてみた。するとどうだろう。今まで単なる文字と絵であったものが、むくむくと起き上がり、立体的なイメージを作り上げるではないか。昨日まで、細かな血管や神経の名前ばかり気がいってこのことに気付かなかった。大切なのはイメージだ。
解剖実習はほんの三ヶ月で終わってしまう。馬鹿な私は、細かな名前なんてすぐに忘れてしまうだろう。