これは必然のことで、仕方のないことなのか?だが、医学部に受かる前からあった初心と、人様の身体に関わる態度にあまりにギャップがありはしないか?
そう考えているとき、実習室の前に献体された方の作文集と先輩・他大学の学生の感想文が置かれているのを思い出し、読んでみるようになりました。
"私と献体"を読む。I氏(我々の班のご遺体)や、他の献体をなさった方々も、生前、この冊子にあるような、さまざまなご厚意と理念をお持ちだったのだろう。本当に、我々の勉強は多くの方々に支えられていると実感する。
「ご遺体こそが、我々の最初の患者さんであった…」("解剖学実習を終えて"より)常に医者が患者さん方に対し謙虚であるように、ご遺体に対して態度は馴れ合わず、知識は貧欲にあるべきだと思う。献体をしてくださった方々は、死後のご自分の身体を赤の他人の我々に預けてくださったのだ。我々がそのご厚意に応えるには、ご遺体より授かった知識を以って、将来生者のために生かすこと、それは献体をなさった方々のご意志でもあろう。
解剖学実習は、単なる解剖学的知識にとどまらず、生と死に対する概念、医療・人生に対する態度も考えさせてくれました。
最後に、献体の決断をしてくださったすべての故人とそのご遺族の方々に、改めて感謝を申し上げたいと思います。