けれども、確実に何かを感じた。何か、ご遺体の皮膚からそれに触れている私の肌へ直接感じられる、かなり複雑な入りくんだ思いとか感情が流れ込んでくるのだ。実習初日から私はそれを感じた。すなわち、最初に背部の皮膚をとりさるとき、「痛い」という感覚がご遺体から私へと直接に流入し、まるで私自身の知覚したものであるかのように、肌が痛んだ。その中でも最も私の心をとらえたのは、「どうしてお前はそこに居て、遺体にメスを入れるような恐ろしいことをしているのか」というものだった。
なぜこのように多くのことを感じ得るのか、それは勿論私が特に感受性の強い人間であるとか妄想家だからとかいう理由からではなく、結局ご遺体は「生命」であるからということに尽きる。もしどんなに人体に忠実で精巧なマネキンがあったとしても、それから私は何も感じないだろう。肌と肌との共有感や同じ意識を感ずることは決してないだろう。
モノと生命の違いを解剖実習から得た学生はたくさんいたと思う。考えさせられることも多かった。だから、それらを得られただけでも、この実習は大変ではあったが確実に私を成長させたと信じている。