日本財団 図書館


なれぬ作業をそれでも何とかこなさねばと一所懸命になるうち、初めての「解剖」に対する不安や緊張はつかの間のものとなっていたのだから……。

私の気を高ぶらせたのは、言うなれば実習に臨むことが許されたことであった。それは即ち、医学を学ぶことを認められたことである。今までの勉強は何のためにしてきたのか。何故自らに教養を求めたのか。それは医学を学び、医師となるためだったではないか。そう考えると感慨深くさえあった。

実際に実習が始まると、まるで芸術品のように美しく精巧な造りをした人の体に感嘆し、同時にそのあまりの複雑さに頭を悩まされることもしばしばだった。実習に費やした時間とエネルギーは大変なものだったが、それでも学ぶことの多さに比べればいくら時間や労力を費やしても十分ではないようで、「やることのあまり多さ」と「それをする時間のあまりの少なさ」を思うと絶望的な気分にさえなった。

それでもこれが自らの選んだ道であること、実習から得られる知識はあと(実習後)からでは学べないこと、そして何よりも献体なさった方の遺志を思うにつれ、ふさぎこむ自分を「無理でもやるんだ」と叱咤することで、何とか実習の全行程を終えることができたのだった。

いや、本当に終えることができたのだろうか。最後の試験を終えたあと、私は考えた。たしかに剖出するべきものはすべて剖出した。少なくとも試験に通る程度には知識も身についた。だがそれだけでいいのか?何かをやり残してはいないだろうか?

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION