解剖学実習を終えて
菊地 雅子
その方とは生前にお会いしたことはなく、私達の出会いは、生と死という、今までに体験したことのない形で始まった。
おそらくは多くの人がそうであるように、以前の私にとって、「生」はあまりにあたりまえの日常で、認識することすらほとんどなかった。知人や身内の死を経験しても、突然訪れる永遠の別れに一時的な悲しみと動揺を覚えた後は、深く追及することを避けていたように思う。しかし今回の解剖学実習で、ある意味で私が死に触れていた時間はあまりに長かった。
ぎごちない手つきで解剖を進め、人体の複雑かつ無駄のない構造・精密で難解なつくりを目のあたりにして、生きていることへの疑問がおのずと湧きあがった。今はもう機能をやめた神経の一本一本が、私の知らないところで、この方の一生の時間を刻んでいたなどと、どうして想像できるだろうか。また、何十年という長い年月、致命的な欠陥もなくこの方が生活してきたという奇跡的な事実が、なんとも不思議で仕方がなかった。目前の死の静けさがさらにその思いを増大させ、生とは本当に一瞬の出来事であるかのように感じられた。死はごく自然な状態であり、生こそが不可解なのだと。