日本財団 図書館


(誤解なさらないで下さい。)御遺体は間違いなく人間である。それは分かっている。しかし、メスとピンセットを使う時、「この人はヒトだ。」と思う(思い返す)と、両手は止まってしまう。私は実習生なのだから、手を止めてはならない、解剖し続けなければならない。でも─。

堂々巡りであった。

決着は、(私は)人間としてまた実習生(医学生)として、つけてはならないと思った。今もそう思っている。

しかし、何て辛い堂々巡りだろう。どちらかに偏ってしまえば悩まずに済むのに。御遺体の方々の静かな御顔がはっきりと思い出される。「悩みなさい。」と、語りかけて下さっているのだろうか。

決着はつかない。きっとこれからもつかない。私が、3ヶ月半に及んだ実習で得たことは、おそらくこのことだと思う。左右から板ばさみになって、そのまま生き続けること。

世間的に見て、医師は冷徹と取られていることが多いのは、きっとこのためだと思う。どちらかに偏ってはならない。命の倫理と、医学の進歩の、どちらをも取るために、どちらかに偏ってはならない。

人の死は、いつまでも重く苦しく、そして純粋に悲しい。受け止めることはできても、乗り越えるのは難しい。しかし、これは命の倫理の側に偏っているとも取れると思うと・・・「死」を乗り越えて、乗り越えて、医学の進歩に貢献しなければならない。両方がバランスの良い状態を保つことが、医学(医療)のあるべき姿なのではないだろうか。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION