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初めて解剖学実習室に足を踏み入れた時の、目の前に横たわる御遺体と、この部屋を支配する静寂の世界。今までに見てきた"人間の死"というものとは違う何かに、不安と恐れを感じながらも、あっという間に時が過ぎ、一日目は終了した。初めて御遺体を目にした時の衝撃は言葉に表せないが、私達が学びとらなくてはならないものの重大さが、物言わぬ御遺体から感じられ、生涯忘れられない強烈な印象を私に植えつけた。

実習が進むにつれ、人体の構造の精密さ、そして、それらが複雑に機能し合うことで一人の人間の生命の営みがあることに、改めて驚きを覚えた。また、この方が亡くなる直接の原因となった器官を目の当たりにし、これから医学を学んでいく上で基礎となる学問を、こうした体験を通して学べることに感謝をし、献体された方の御意志に報いるような態度で実習に臨まなくてはならないと強く感じた。しかし、限られた時間内で、その日の実習課題をこなすというのは容易ではなく、毎回必死で作業に取り組むというのが実情であった。そんな中、知識(勉強)不足や、技術的な遅れを班の人が互いにカバーし合い、不謹慎かも知れないが、終始、和やかなムードで実習を行えたことは、非常に恵まれていたような気がする。医療におけるチームワークの重要性の一端を、この場で体得できたのも私には大きな収穫であった。それ以外にも、将来、人の生命を総合的に見てゆく医師になる上で、この解剖学実習以外の何によっても得ることのできない"生命の尊厳"を、教えていただいた気がする。医療の根底にあるべき生命への尊厳の気持ちを身をもって体験する場を、献体という形で提供して下さった方には本当に頭の下がる思いがする。

 

 

 

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