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◆長城

ヒマラヤの万年雪が溶解するかのごとく、声明は次第にモンゴルの草原の声、ホーミーヘと変化する。それとともに万里の長城が姿を現す。「石、歌、久遠、爪弾き(stone … song … everlasting … thrum …)」――長城と琵琶の音色は、マルコ・ポーロが中国に到達した事を想起させる。その響きをルスティケッロがモンゴルの民族歌唱のスタイルで歌い上げる。「今ぞ我が待ち続けたる時 … (now the moment I was waiting for …)」たちまち起こる喧騒を聞き、マルコは叫ぶ:「私は長城に到達したのだ(I came to a Wall!)」

 

中央アジア風の女声合唱に導かれ、初めて中国琵琶が登場し名技を披露する。ルスティケッロの歌唱はオルティン・ドーのスタイルに倣っていると思われるが、日本の馬子歌にも似た雰囲気はわが国の聴衆にとっても親しみのわくところだろうか。

 

【時空之書:秋】

前段の突然の中断とともに闇が戻り、第四の「時空之書」が開く。マルコ・ポーロは二人の影、ルスティケッロとダンテに詰問される:「あの長城は、君がその書に記したものか?(Was this in the book ―― this Wall?)」

 

「私は、まだ語っていない … (I have not told …)」

 

マルコ・ポーロの大旅行は現実だったのか、それとも夢の中での出来事だったのか。しかし「かの旅は汝のもの、そしてかの“汝”は旅のもの(The journey that was yours:the you that was journey's)」…荘子の逸話にも記される通り、「人が胡蝶を夢見たのか、胡蝶が人を夢見たのか(A man? A butterfly?)」、その真偽を問いただすことは意味のないことである。マーラーと李白がそれぞれの創作を引用して「人生夢の如し(If life is only a dream)」と歌い、さらにシェークスピアが「我らすべてかくなるもの、夢を形作るそのものと同じく(We are such stuff,as dreams are made on)」と結論づける。「時空之書」はそのようにマルコ・ポーロの旅のリアリティを肯定しつつ、銅鑼の一撃、そして李白とシェークスピアの破顔一笑のうちに閉じられる。

 

この歌劇の“精神的結論”ともいえるこの情景では、古今東西の音楽や文字が引用されている。マーラー《大地の歌》からの直接的引用(第5楽章「春に酔える者」)の他、京劇の旋律定型が用いられている(中でもピッコロで導入される旋律は、作曲者のヴァイオリン協奏曲《Out of Peking Opera》(1987/94)にも引用されている)。またクライマックスで現れる「人か、胡蝶か」の語句は、荘子の有名な逸話から採られており、“夢幻”から“現実”への帰還――夢からの覚醒(〈砂漠〉の情景で用いられた下降音型による)が大胆に彩られる。なおシェークスピアの言葉は戯曲《テンペスト》から採られたものである。

 

◆長城(続)

再び万里の長城に向き合うマルコ・ポーロ。現実の世界にそびえ立つ長城は、「彼方の闇より(from the darkness of distance …)」人生の旅路を辿ってきた旅行者マルコの“人生の到達点”、また“生の此岸と彼岸を隔てる壁”として写る。もう一人の内面への旅行者であるフビライ・ハーンとマルコ・ポーロの邂逅。王妃(かつて砂漠でシェエラザードであった影)は彼に、この場所に留まり続けるよう勧める。“記憶の存在”ポーロは、恍惚として、ヴェネツィアの広場で歌ったアリアを中国語で歌う。しかし“現実の存在”マルコは、長城=壁を超えた彼方の世界に向かう旅路の継続を待ち望んでいる。ダンテは彼を勇気づける:「死は冷たいものではない。それよりも、別の生が彼方に存在する(Death――could not be colder…)」と。

舞台に居合わせる全員が「ハーンの統治の彼方には何もない、それは変わらざる光、ひとつの眼(beyond the rule of Khan, there is nowhere … a changeless light――an eye)」と歌う。その声の混沌の中、“記憶の存在”ポーロは“現実の存在”マルコに、彼方の生の“変わらざる光(a changeless light)”を求めるよう促す。マルコは長城を突き破り、彼方の生への旅路へと向かう。

そして――「ひとつの、眼(an eye)」――全員の囁きとともに、全てが記憶の彼方へと織り込まれ、消えてゆく。

 

マルコ・ポーロの「地域の旅」の到達点、また新たなる「旅路」の出発点となるこの情景はもはや多くの説明を必要としないだろう。先立つ各情景で用いられた基本モティーフは、マルコによって突破される壁としてそびえ立ち、此岸の一切を記憶の中に織り込んで全曲を閉じる。

なお、本文でたどった内容は、もとよりこの歌劇の読み方のひとつに過ぎない。「マルコ・ポーロは、すべての人であり、すべての事物だ。貴方であり、私であり、そのものである」という作曲者の言葉のように、「時空之書」を前にした聴き手それぞれのは旅”が思い描かれることだろう。

 

※解説本文・字幕対訳:日本フィル広報宣伝部

 

 

 

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