【時空之書:春】
月に照らされた春の夜の印象。第二の「時空之書」において、港に立ったマルコ・ポーロが、父と叔父、二人の司祭を伴っての旅の開始を追想する。「金」と「絹」を求める現世の旅が、さまざまな失策を重ねつつ進められてゆくことが暗示される。
再び京劇風の音楽とともに開巻する「時空之書」では、新たに「金(gold)」「絹(silk)」という単語が呈示される。これらは現世の旅における父と叔父の失策を暗示し、次景からの「地域の旅」の中でしばしば聞かれるものである。
◆海
マルコが旅立ちを歌う。自然界の存在である水が、ヴェネツィアの運河から、海、そして長江に至るまでの後の旅に、恋人のようにつき従うことを約束する。
出帆、嵐との遭遇、そして再び広大な海原が戻る。
独奏ヴァイオリンとハープ(いずれも古楽器風の素材な響きを奏でる)を伴うリコーダーの主旋律、マルコの歌唱法など、中世西欧を強く印象づける音楽でこの情景は始まる。水の歌う緩やかな旋律や弦楽器のグリッサンドなど、変幻自在な色彩感も魅力的である。出帆から嵐の遭遇に至る場面では、基本モティーフの変容による動機が登場、合唱の歌う「ochi」(中国語の“氣”もしくは“汽”の発音を連想させるが)とともに旅人を翻弄する荒波を想起させる。
◆市場
場面は「目に見え、耳に聞こえ、味わわれ、触れられる(what can be seen, heard, tasted, felt)」あらゆる物が取り引きされる中東のバザールに移る。未知のあらゆるものの情報が集積する市場は、あらゆる危険の交錯する迷路でもある。父の失策の回想。その中にあって旅行者は、導き手をなしに自らの力で進むべき道を探し当てねばならない――と、ダンテは説明する。
打楽器と金管、男声合唱(4度音程の平行が特徴的)が“中東風”のイメージを描く。歌唱部分では、“Ma-sk, sk, sk…”(合唱)“leaves-v, v, v…”(ポーロ)“Water-r, r ,r…”など、大胆に子音を強調している点も面白い。またこの場面では急速なリズム型を持つ動機(基本モティーフの変形)がある種の危機感を表出している。
【時空之書:夏】
第三の「時空之書」が開く。マルコ・ポーロは無言の砂漠のただ中にいる。風。停滞する動きの中で、ルスティケッロのみが語る:「吾と来たれ…(Come with me…)」
プリペアド・ピアノが“茫漠たる無音の砂漠”の印象を描く。ここで用いられている音階は、続く〈砂漠〉の情景で中心的な素材となるインド風音階(c-des-e-fis-g-as-h-c)に由来するものである。
◆砂漠
茫然たる砂漠の中、マルコ・ポーロは風に託して無言のアリアを歌う。もうひとつの“影”であるシェエラザードが、この砂漠の中にポーロを永遠に留めようと、魔術を用いて幻影の舞劇(そこには情愛が描かれている)を見せる。暫との幻惑は、しかしポーロの同伴者である水によって破られる。「貴方の物語を絨毯のように広げ、その模様を、物語の緒を伝えて(unfold your story like a carpet …)」――幻影を離れ、彼の旅は継続されなければならない。「何を期待しつつ?(Expecting what?)」――ルスティケッロが疑問を投げかける。
もう一人の旅行者、フビライ・ハーンが再び登場。ここでは彼は“私=フビライ・ハーン”に達しているものの、留まる現在の場所は、いまだ彼にとって異郷である。彼は会場の聴衆の間で、自分自身の真の居場所への到達をさらに待ち続ける。
前景で登場したインド風音階のモティーフ(上昇型)がシェエラザードの“魔術”による幻影を導き出す。ここでマルコ&ポーロが歌う“無言のアリア”は、先の〈広場〉においてポーロがイタリア語で歌ったものの(言葉のない)反復であるが、そのうつろうような不完全な姿態は、あたかも砂漠に浮ぶ蜃気楼のような幻惑を醸し出す。その後にシェエラザードの叫び――「沈黙(Silence)」――から始まる“幻影の解体”では、前述音階モティーフの下降型により、幻からの退避を決定づけてゆく。なお、この場面で登場するシタールとタブラは、「地域の旅」のインドへの到着の印象をさらに強めてゆく。
◆ヒマラヤ
場面は聖地ヒマラヤにおけるラマ教の祭儀的情景を喚起する。雪に閉ざされた世界。その中で“記憶の存在”ポーロと“現実の存在”マルコとが結びつけられる。チベット声明を模した合唱が響く。
チベタン・ホルンの咆哮、ベルの妖しい煌めきなど、異教的かつ魔術的色彩に富む場面。また中間部分の水の独唱では京劇風のイントネーションも用いられている。なお、続く〈長城〉の場面への接続部分で、声楽風の合唱がホーミー(モンゴルの倍音唱法)へと次第に変化する色彩感は特筆に値しよう。