プログラム・ノート
■譚盾:歌劇《マルコ・ポーロ》
エディンバラ音楽祭の委嘱により作曲された歌劇《マルコ・ポーロ》は、現代中国の新世代を代表する作曲家譚盾(1957-)が、1986年渡米以来の自らの芸術体験を集大成した大作である。1996年のミュンヘン・ビエンナーレにおける世界初演以後、アムステルダム、香港、ニューヨークなどの各都市で再演され、世界的にも注目を集めたポスト・モダン・オペラの金字塔として評価されている。
台本は、現代音楽に造詣の深い音楽評論家ポール・グリフィス(1947-)によるもので、ちなみにグリフィスには《Myself and Marco Polo》という標題の著書もある。
副題に“An opera within opera”(劇中劇)とあるこの作品は、「精神の旅」「地域の旅」「音楽の旅」の3つの旅を描く「劇」で構成され(別図参照)、互いに強い関連性を持ちながら織り込まれている。
「精神の旅」は「時空之書」(The Book of Timespace)と題される4つの部分からなり、中国の伝統劇である京劇のスタイルを採りながら、マルコ・ポーロ(現実世界の存在と精神世界の存在とに分けられ演じられる)と、彼の内面の旅を支える過去・現在・未来の存在(“影”)との対話を中心に織りなされる。これらは冬に始まり秋に至る自然循環、また誕生から死と再生という東洋的生命観を象徴している。
「地域の旅」では、マルコ・ポーロが現実の歴史上で体験した「東方見聞録」の旅〜ヴェネツィアから中国までの大旅行〜を中心に、中世ヨーロッパ世界からの出帆に始まり、大海での嵐との遭遇、色彩と欲望が錯綜する中東の市場、インドの砂漠における幻惑、ヒマラヤの神秘的な祭儀、モンゴルの平原に響く歌、“世界の涯て”である万里の長城への到達までが、象徴的な表現により描かれる。
この「地域の旅」は、各地の民族的特徴を表現した「音楽の旅」でもある。グレゴリオ聖歌や中世風歌謡などのヨーロッパ音楽をはじめ、打楽器や男声合唱の力動感に溢れる中東風音楽、妖艶なシタール演奏の加わるインド音楽、ラマ教祭儀楽器が呪術的雰囲気を高めるチベット音楽、倍音唱法(ホーミー)を導入したモンゴル音楽、琵琶と京劇風楽旬の引用による中国音楽などが聞かれ、「東方見聞録」同様の民族的ヴァラエティに富んだ音楽空間が作り上げられる。
全曲は切れ目なく続き、マルコ・ポーロの旅行譚に託された抽象的なドラマが展開してゆく。
〔各場面の構成図〕
登場人物
この歌劇では、劇中人物は「記憶(Memory)」「存在(Being)」「自然(Nature)」「影(Shadow)」の4つのカテゴリーに区分され、それぞれが時空を越えて夢幻的な対話を交わす。
【記憶】ポーロ
人間存在の内面や思考、すなわち「記憶の声」としての側面を表す。劇中ではマルコ・ポーロは「外界から観察される存在」マルコと「内面から感覚される存在」ポーロに分けられている。
【存在】マルコ/フビライ・ハーン
現実世界の”旅行者“として、マルコ(・ポーロ)のほか、大モンゴル帝国皇帝のフビライ・ハーンもまた、“自己の内面”への旅行者として描かれている点は、この歌劇の特徴的な部分である。最終シーンでのマルコとフビライの邂逅こそ、西洋と東洋の交差と融合、それら両文化圏の止揚を象徴するものといえるだろう。
【自然】水
この劇中において、「自然」はマルコ・ポーロの旅に付き従い、ある時は導き、ある時は慰め力づける「伴侶」としての役割を持つ存在として位置づけられている。故郷ヴェネツィアから海、茫漠たる砂漠からヒマラヤ山地、そして中国は長江に至るまで、変わることなく存在する風、水、光……
【影】ルスティケッロ&李白(影1)/シェエラザード、マーラー&王妃(影2)/ダンテ&シェークスピア(影3)
旅行者マルコ・ポーロの“精神の旅”に示唆を与え、また誘惑する他者としての存在は、この劇中において「影」として描かれる。それらは現世/架空、あるいは過去/現在/未来などの時空間に束縛されず、さまざまな形で主人公に関わってゆく。