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Kさんはざおうに来てからの2日間のS医師の治療と献身的なO総婦長の看護でその顔には笑顔が見られるまで回復した。あとは病院で本格的な治療を受ければKさんはまた船に乗って漁に出られるようになる。Kさんを離船させるためヘリコプターの準備作業にとりかかったところ、金華山の東方約1,340海里において、また病人が発生したとの情報が入る。Kさん達を「しおかぜ」に乗せ、S医師とO婦長にお礼を言い、ヘリコプターのドアを閉めた。病院に向かい離船する「しおかぜ」に手を振る。いつもならここでホット一息入れるところであるが、新たな病人の容体が気になり、直ぐに船橋に駆け上がった。

病人は50歳の男性Mさんで遠洋マグロ延縄漁船Y丸の甲板員である。1月18日頃より発熱があり、26日の朝に42℃の高熱をだし、痙攣を起こし意識不明となり、船主からの要請で洋上救急発動となった。しかし、今回はなかなか出動医師・看護婦の手配がつかない。どこの病院も診療が忙しく人手不足なのである。そんな中K病院のK医師が出動してくださる事となった。K医師の迎えのため「しおかぜ」を離船し、翌早朝、帰船した。K医師は29歳と若いがその言葉の端々からまだ見ぬMさんを何とか助けたい、そんな熱い情熱を感じる。ざおうはK医師を乗せ会合予定地点向け全速で航走を開始した。09時00分、Y丸と直接無線交信が出来るようになった。通信室にてK医師と一緒にMさんの病状を詳しく聴取する。思っていた以上に容体は悪い。聴取した結果からK医師は細菌性髄膜炎という非常に予後の悪い疾患を疑う。高熱を出していることから脱水状態になっている可能性が強い。「ざおう」が到着するまでにはあと2日はかかる。このままではそれまで持たないかもしれない。何とか水分補給だけでもしたい。しかし、Mさんは全く意識がなく水を飲ませることは無理である。点滴による水分補給以外有効な方法はないが、Y丸は点滴の道具を持っていない、最悪の事態が頭をよぎる。何とか心臓の動いている状態でMさんを家族に会わせたい。本船、第二管区海上保安本部、乗船中のK医師、同医師の所属病院との間で検討が再三なされたが、有効な手だてが打てず、「ざおう」が到着するまでMさんが何とか持ちこたえてくれることを祈るしかない状況となった。

28日11時30分、Y丸との定時連絡。まずい。それまで何とか維持していた最高血圧が100mmHgを切った。船舶衛生管理者でもあるY丸の船長に今まで以上に注意してMさんの病状を監視するよう指示をする。

しかし、その約1時間後の12時25分、Y丸からMさんが呼吸困難になったとの無線連絡が入る。K医師と私は通信室へ駆け上がり、Y丸にMさんの呼吸と脈拍の確認をするように指示をした。数分後、呼吸も脈拍も無いとの回答がくる。すぐに心肺蘇生法(人工呼吸と心臓マッサージ)を開始するように指示し、同時に実施方法を説明すると、Y丸の船長がすでに心肺蘇生法を開始しているとのことである。なんということだ、明早朝にはヘリコプターの飛べる距離まで到達するというのに。何とか持ち直してくれ。我々はこの状況でも祈ることしかできない。

 

 

 

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