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爾来明治、大正、昭和の3代にわたり多大の救助、功績をあげ、昭和36年福岡市合併と同時に日本水難救済会玄界島救難組合と改称、その後“社団法人日本水難救済会福岡県支部玄界島救難所”として現在に至っている」とあり、実績、キャリアとも申し分のない救難所である。

 

平成10年8月24日(月)晴れ

喜界救難所(鹿児島県)

 

海洋レジャーシーズンも後半の8月24日、ダイビングのメッカでもある鹿児島県喜界島沖において、ダイバーが一時行方不明となる騒ぎがあった。

奄美大島笠利町所在のダイビングショップを尋ねた東京在住の会社員Sさんは同店のダイビングインストラクターNさんに連れられ、同日1000ダイビング監視船に乗り喜界島の南西3海里にあるダイビングポイント、ウガミ礁(水深9〜11メートル)に到着し、1100から潜水を開始した。

インストラクターのNさんとSさんがペヤーを組んで潜水し、これを示すフロートを監視船「更紗II」の船長が船上から見張るという体制で実施していたが、同日1515頃3回目のダイビングに入った頃、監視船の船長は、船の位置確認のため船内のGPS(位置測定器)を約10分間程操作したが、この間、見張りを怠ったためフロートを見失ってしまった。驚いて周辺を捜索したが、逆光等で海面が見えず発見できないため1610名瀬海上保安部に届け出た。

一方、ダイバー2名は潜水後浮上したところ監視船がはるか彼方にいるので、手を振り救助をもとめたが気付く様子もなく離れていった。

1625頃、喜界救難所の藤枝救助員は所有船のふじ丸で操業を終え帰港中、救難所長から喜界島の南西4海里付近で行方不明ダイバーの捜索の指令を受け、直ちに現場海域に急行した。現場海域は海潮流が強く、時間的経過等からかなり流されていると思われることから、漂流公算海域を割り出し重点的にその周辺海域を捜索の結果、日没寸前の同日1833頃、潜水現場のウガミ礁から北西1.6キロ離れた海域でフロートに捕まり流されているダイバー2名を発見、無事救助した。

関係者によると、喜界島近海では1993年に海底遺蹟と思われる構造物が発見されており、最近はウガミ礁付近もダイバーに人気のポイントとなっていたとのことで、過去にも同様な事故が発生している。

本件は地方新聞にも大きく取り上げられたが、2名を救助した藤枝救助員は、後日、名瀬海上保安部長及び本会会長から表彰を受けている。

喜界救難所は平成10年7月7日の七夕に発足した漁協系救難所で所長以下79名の勢力を有しているが、地元の民間海難救助団体として頼りにされる存在となっており、今後の活躍が期待できる。

 

 

 

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