日本財団 図書館


051-1.gif

また、同救難所の近松正満さんは、同日2000頃付近住民から「沖合で船火事だ!」という叫び声で沖を見ると、小型ボートから黒煙が揚がっているので傍にいた息子と娘婿を促し、家に備え付けの消火器2本を積んで息子の船で現場に急行し、燃え盛る火災船に接近し、爆発等二次災害の危険を顧みず消火作業を実施した結果、他船の協力もあって同日2030頃火災は鎮火したのでロープをとり川棚港に曳航、救助完了した。

川棚救難所は平成10年5月1日発足の漁協系救難所で所員数は所長以下57名で地元関係機関にとって協力な助けっ人となることが期待できる。

なお、本件は、後日佐世保海上保安部長、当会会長から表彰された。

 

平成10年8月5日(水)晴れ

玄界島救難所(福岡県)

 

051-2.gif

玄界島漁協(救難所)で仕事をしていた玉川救助員は、同日1555頃、警察経由で連絡を受けた福岡海上保安部から漂流者の救助出動要請を受け、直ちに救難所長に連絡し、同僚の久保田さんと2人で漁港に駆け付け、たまたまそこにいた救助班長の寺田さんと3人で寺田さんの船で出動した。

出港後捜索を実施しながら現場付近海域にさしかかったところ机島沖合で漂流中のTさんを発見し船内に揚収救助した。

海上での漂流者捜索は水面上頭1つしか出ていないため、また、付近海域は海潮流が強く発見困難な状況であったが、救助班長等は経験から周辺の海潮流に熟知しており効果的な捜索を実施した結果、発見、救助したものである。

なお、他の1名は、捜索の甲斐もなく、後日遺体で発見されている。

因みに玄界島救難所の歴史を繙いてみると「玄界島救難所は明治15年玄溟社と呼称、船舶の遭難救助に当たる救護組として発足し、明治22年玄界島水防組と改め、明治25年玄界島水難救護組と再改称、昭和2年4月23日、帝国水難救済会救難組合に参加した。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION